『蜷川実花の世界』
        −前編−

2000年4月掲載


§Text1§
  楽園の殉教者

text:Keita Nakayama

 今回の特集を組むにあたって、蜷川実花のふたつの作品集を書棚から取り出し、あらためて眺めてみた。眺めて、というのはずいぶんと不遜な言い方だけど、作者本人が「寝ころんで観れるように、意識して軽く(物理的に)作ってる」というから、それほど失礼にはあたらないと思う。
 そうして二冊を比較すると、ここにはまったく異なる視点があることに気づく。彼女の最初の作品集である『17 9 '97』には、被写体と自分の距離(物理的でなく)を圧縮しようとする作者の意志が漲っていて、それが異常なテンションとなって一冊の本に張りつめている。
 ところが、ここから二年の歳月を経て上梓された『BABY BLUE SKY』では攻撃 性は影をひそめている。楽園のような島の風景を写しとった作品集の全編に漂うのは、穏やかで平和な空気感である。
 ふたつの作品集ができる間に、作者に何があったのか。結婚し、たくさんの仕事をこなし、多くの国に旅をしていろんなひとたちと出会った、という事実は、両者をへだてる“気分”の違いにもちろん無関係ではないだろうけれど、それは本質ではないような気がする。
 彼女に会ったときに、この点について訊ねてみた。彼女の答えは、要約すると次のようなものだった。
「最初の作品集のときは、自分の個性を出そうと悩んで悩み抜いて、それでこういう形になった。でも二冊目は自分でも不思議なほどすべてがスムーズに進んで、どの写真もあるべき場所に収まったと思う。どっちが自分のイメージに近いかというと、どっちともいえない。どちらの本にも、過去の自分がいるという感じ。でも、懐かしさとか愛おしさとか、そういう感情を越えたところで観ると、縦と横の違いがその時の気分を表していると思う」
 縦と横というのは、カメラをどう構えて被写体を切り取るかということだ。本人によれば、ふたつの作品集は最初から版型が決まっていたわけではなくて、プリントした作品を集めてみてこうなったのだという。だから、両者の違いはその場所に立っていた作者が、世界と向き合う視点の違いなのだ。
 何もない空。どこにでもあるコップ。誰もいない墓地。そういうものと向き合ったときにファインダーの向こうに見えるのは、実は自分自身である。原色の満ちあふれた人造物にも、楽園のような島にも、そういう鏡のような風景はたくさんある。そういう物や風景を前にしたとき、写真はシャッターを押した人間のアニマ(霊魂、のようなもの)を見せるのだと思う。
 蜷川実花の写真はどんどん変わっていく。でも、根底に流れるものはまだそんなには変わらない。彼女のプリントは、ただ美しいだけでなく、いつもどこかに痛みと哀しみと儚さが漂う。それがなぜなのか、僕にはまだわからない。

 

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from BABY BLUE SKY (C)Ninagawa Mika



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