『ritoratto della nuova generatione #2』

新世代の肖像 −パート2−
蜷川実花 作品集「Pink Rose Suite」より

 写真/蜷川実花文/中山慶太


§旅人たちの消息§

米国の作家ポール・ボウルズはその著作『シェルタリング・スカイ』のなかで、観光客(ツーリスト)と旅行者(トラベラー)の差異について次のように述べている。「観光客はおよそ数週間ないし数ヶ月ののちには家に戻る。旅行者はいずれの土地にも属さず、何年もかけて地球上のある場所から別の場所へとゆっくり移動する」。
 それはまだ地球が今ほどちいさくなかった半世紀も前に書かれた文章だから、旅の概念がいくぶん異なっていることは考慮すべきである。じっさいに、その時代に数週間以上のゆとりを持って旅行に出かけられるひとたちは、二度の大戦でひとり財布をふくらませた米国にもそれほど多くはなかった。
 ボウルズがツーリスト、つまり観光客(注)と定義するのは、そうやって代わり映えのしない日常に旅行という余暇でぽっかりと穴を空けることを覚えはじめた生活者の、つまりいまの僕たちの原型のように退屈を恐れはじめたひとたちのことだろう。

 そもそも現代における観光旅行とは十八世紀の半ば、英国人トーマス・クックが蒸気機関というハードウェアのアプリケーションとして開発したソフトウェアである。それをふたつの戦争のあとに米国人が引き継ぎ、もろもろの毒を抜いて流行りの鋳型に流し込み、最後にメッキの部品で飾って量産をはかったのだ。
 こうして改良を受けた“旅行”は新興の富裕層におおいに受けたが、しょせん狭い家の応接間におさまるサイズではなかった。そこで過密スケジュールを圧縮する技術が開発され、これを小型のパッケージに組み込んで高度なダウンサイジングと大幅なコストダウンに成功したのが、他ならぬ日本人である。

 さてそうやって一世紀半のうちに発達した旅行を俯瞰して冒頭のボウルズの言いぶんに戻ると、彼の主張の半分はいまでも変わっていないことに思い当たる。つまり、観光客は帰る家を持つがゆえにどの土地でも“客”であるということだ。ここでいう家とは、存在としての家ではない。むしろ、僕たちが(または僕たちの精神が)属する社会と言い換えた方が、いまの時代に合うだろうか。
 二十世紀の終わり、地球上のおおくの地域はそういう観光客たちにテンポラリーな刺激や癒しをあたえるテーマパークと化した。
 では、いずれの土地にも属さずに移動をつづける旅行者たちはどこに行ったのだろう。
 彼らの消息を知る手がかりは、ピンクの薔薇にある。

 

(注)上記の訳語は大久保康雄氏と永井淳氏が訳出された『シェルタリング・スカイ』(新潮文庫刊)より引用させたいただきました。

 

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Pink Rose Suite #1
photo: mika ninagawa (C)







Pink Rose Suite #2
photo: mika ninagawa (C)







Pink Rose Suite #3
photo: mika ninagawa (C)



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