東京ヘリテージ Vol.2
東京天文台〜武蔵野で星を観た日〜 −前編−

 文・写真/中山慶太 2001年8月掲載

§赤道儀は望遠鏡より偉いか§

 東京天文台は、正式名称を『国立天文台三鷹キャンパス』という。住所は東京都三鷹市大沢、その昔は武蔵野という地名で親しまれたあたりだ。かつては鬱蒼とした雑木林に覆われ、文人にも親しまれた土地柄であったが、国木田独歩が描いた風景は住宅地に姿を変えた。武蔵野という呼び名も、今では不動産広告くらいでしかお目にかかれない。
 天文台には、JR中央線の武蔵境駅からバスで行く。施設の一部は公開されているが、見学者向けの駐車場はないからだ。バスは複数の路線が走っているので、不便はない。
 受付で名前と入台時間を書くと、丁寧な解説の入った小さなパンフレットと、大きなワッペンをくれる。受付窓口の下には番犬と呼ぶにはちょっと難しそうな犬がつながれ、犬用の蚊取り線香も焚かれている。大の犬好きならずとも、この光景に好感を持つひとは多いだろう。守衛さんも杓子定規な対応でなく、とても人当たりが良い。
 案内図に従って左手に進むと、やがて小さな丸屋根を持つ建物が左に見えてくる。これが『第一赤道儀室』で、1921年(大正10年)の建設という。東京天文台に遺る施設では、もっとも旧い建築である。
 ところで天文分野の門外漢には『せきどうぎ』と言われても意味不明だが、これはドーム内に設置された稼働設備を指すらしい。やはりド素人の筆者には、天文台といえば丸屋根のなかに天体望遠鏡が据えられた状態しかイメージできないが、実はこの望遠鏡で正確に天体を追尾するのがタイヘンみたいだ。それはつまり、地球の自転と公転によって星の位置が変わるという、しごく当たり前の理由があるからなのだ。
 ド素人の筆者は、天体観測というとただ長大な望遠鏡を覗くだけのように思うけれど、じっさいの研究には天体を撮影することが必須らしい。そうなると星の運行に合わせてレンズを動かさなければならない。コンピュータが発達した現在なら造作もないように思えるが、すべて機械式でこれをやるメカなどは、ちょっと想像することが難しい。
 赤道儀室の内部には、この建物が建設されてまもなくドイツ製の立派な望遠鏡が設置された。口径20cm焦点距離359cmというそれは、カメラのレンズなどとは比べものにならぬスケールだけれど、後編に登場するもうひとつの望遠鏡からくらべればとてもとても小さなものなのだ。ただ、やはり当時の日本の技術では到底作れなかったものらしい。
 にもかかわらず、この建物が『赤道儀室』と呼ばれるのは、その追尾装置の方が(舶来の望遠鏡より)立場がエラかったからではないか、と思えるのである。



【東京天文台略史2】
 麻布の天文台が三鷹に移転を始めたのは、大正初期のことだった。その理由は、すでに当時の東京では夜間の灯火の影響で、観測が難しくなっていたためという。移転は何年もかけて行われ、当初は双方の設備を利用する予定であったが、麻布の施設が関東大震災で被害を受け、震災後の観測は三鷹に全面移管されることになった。なお、東京天文台は現在に至るまで東京大学の施設として利用されており、初期の建築の多くは東京大学の営繕科が設計を担当している。

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第一赤道儀室の内部。
ドームの内側は木製で、その周囲を金属の板で葺いていることがわかる。ドーム全体が回転する機構のため、おそらく軽量化を意図したのだろう。観測時には、もちろん天井のスリットが開くしくみ。
20mmF2.8 絞りF5.6 1/8sec. fujichrome Velvia (RVP)


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これが天体を追尾する赤道儀の主要メカ。
鋳物の集合で造られたヘビーメタルなメカニズム。いっけんすると井戸水の汲み上げポンプのよう。望遠鏡本体は右側の縦の筒に過ぎないから、やはりこれを支持する架台のメカの方がずっと大がかりだ。
20mmF2.8 絞りF5.6 1/8sec. fujichrome Velvia (RVP)


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第一赤道儀室。
子供の落書きなどで汚された時期もあったようだが、今は綺麗にヤレた姿を見せている。観測は階段を上がった二階で行う。一階(半地下?)は赤道儀を駆動するガバナーのメカが納められているようだが、あいにく非公開。機会があればぜひ観たい。
20mmF2.8 絞りF5.6 1/125sec. fujichrome Velvia (RVP)


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