東京ヘリテージ Vol.2
東京天文台〜武蔵野で星を観た日〜 −前編−

 文・写真/中山慶太 2001年8月掲載

§天文台の(いっけん)地味な仕事§

 案内板を見ると、この赤道儀の方式は『速度調整機構付き重錘(じゅうすい)式時計駆動』とある。一種のガバナーで動いているらしいが、無電源で最長一時間半の天体追尾が可能だというから、凄いものだ。なにが凄いかは訊かないで欲しい。また、月や太陽、惑星や恒星など、移動速度の異なる対象にも追尾できるという。
 惑星と恒星の正確な定義や、なぜ速度が違うかを説明できない筆者はただ感心するだけなのだけれど、もうひとつ感心するのは、この設備がつい最近まで現役であったということだ。資料では「1931年より太陽観測に用いられ、1999年3月まで太陽黒点のスケッチ観測が続けられた」とある。
 第一赤道儀室の内部には、その黒点スケッチがちゃんと展示されている。見た目はただ白い紙に点が記されているようにしか見えない地味なスケッチなのだが、それを積み重ねることが正しい研究の姿なのだろう。天文台というと、先端テクノロジーで夜空の星を観測する施設だと思いがちだけど、こういう分野の研究が太古のメカ(失礼)で連綿と行われているのも、それはそれで凄いことなのであった。なにが凄いかは、私に訊かないで欲しいけど。

   ところで天文台の仕事といえば、やはり星の観測が主なものだ。初期の東京天文台で、それがなにに役立てられていたかといえば「経緯度の決定や暦の計算、時間の決定を行うこと」だという。子供の時分に、さんざん少年雑誌などで宇宙開発の夢を刷り込まれた世代にとっては、拍子抜けしそうに地味な分野である。もはや研究を続ける余地すらなさそうにも思える。
 だが明治時代の国策として始まったというそれらの仕事は、麻布を経てこの三鷹に至り、実は今でも続けられているのだそうだ。
 三鷹の天文台では、こうした研究の成果を誰もが分かりやすいカタチで観ることが出来る。その展示は、実はもうひとつの赤道儀室の方に置かれている。それは誰もが天文台に期待する宇宙的なスケールと重厚長大なメカニズムと、そしてちょっと悲しい歴史を持つ、素晴らしく見応えのある設備なのであった。

 次号後編では、国内最大の屈折望遠鏡を有する『大赤道儀室』などをご紹介します。お楽しみに。



【東京天文台略史3】
 第二次大戦中は研究者が兵役に取られ、純粋な学術研究の場としての東京天文台は戦争のための技術開発の片隅に追いやられた感があった。外国からの情報も途絶え、物資や人材が不足するなかで観測が続けられた。白く輝いていたドームの丸屋根は爆撃の標的となることが懸念され、迷彩色に塗られてしまった。戦後は徐々に研究が再開され、恒星の物理学的な観測や電波観測による太陽の研究が行われるようになった。やがて恒星の観測などは大気の条件が優れた高地(乗鞍や野辺山、ハワイなど)の施設に移管されたが、三鷹では分光による太陽物理の研究などが続けられた。現在では全長300mのトンネル二基で重力波を捕らえる『TAMA300』などの最新設備が備えられ、世界の研究者の利用に供されている。

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今月のサービスカット(笑)。
『MIKAの部屋』でお馴染みの小娘一号ことウチダモモコ。さいきんフリーの編集者になって髪を切ったらしい。東京天文台の歴史的建築は、こういう人物ポートレートの背景にも絶好。ただし撮影は他の見学者の邪魔にならないよう。
20mmF2.8 絞りF2.8 1/500sec. fujichrome Astia (RAP)



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東京天文台の公開施設には、こういう英文併記の案内板がきちんと備えられている。小中学生の見学も多いらしく、難しい漢字にはちゃんとルビが振ってあるけれど、読めても意味はわからんだろうなあ。今回の原稿を書くにあたって、この案内板と学芸員の方にはたいへんお世話になりました。
(デジタルカメラによる撮影)



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来月のお題はここ、『大赤道儀室』。中にはあの○○○○社製の屈折望遠鏡が……!
20mmF2.8 絞りF5.6 1/250sec. fujichrome Velvia (RVP)


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