東京ヘリテージ Vol.2
東京天文台〜武蔵野で星を観た日〜 −前編−

 文・写真/中山慶太 2001年8月掲載

§武蔵野の空を見上げて§

 詩人で彫刻家の高村光太郎は「東京には空がない」と綴った。
 作中でのそれは光太郎夫人のつぶやきなのだが、あの名作『智恵子抄』が世に出た昭和16年。夫人が世を去ったのはその三年前だから、それ以前より東京は空を失っていたことになる。
 ひとが空を見上げるとき、そこに何かの目的があることは稀である。だいいちに、人間の首は上を向くのに便利なようにはできていない。ひんぱんに空をあおぎ観るのは極度のロマンチストか、病床にあるひとか、またはそれを職業とするひとだろう。
 高村智恵子は晩年、南品川の病院で療養生活を送っていた。病床の窓から見上げた東京の空は、すでに彼女が思い描く空ではなかったようだ。詩人である夫はその言葉を彼女の死後、万感の想いを込めて綴るのだが、そのおなじ東京で学問のために天を仰ぎ続けるひとたちがいた。昭和初期の東京で、詩人と病人と学者はおなじ空を見上げていたのだ。
 今回のビジュアルスタジオは、東京都下に現存する『東京天文台』を訪れる。その施設は大正の末期より建設され、昭和と平成の70余年を通じ、遙かな天空に視線を向けているという。

「東京に天文台があるのを知っていますか?」と問えば、たいがいの人は怪訝な顔をする。アンモ編集部でもそうだったし、天文台のわりと側に住んでいるライター氏もそんな施設は知らないという。
 無理もないかもしれない。東京天文台はれっきとした国の施設であり、『国立天文台』という機関の一部だが、日本における天体観測の第一線はずっと以前に他の施設に移されている。その理由は、高村智恵子が嘆いたのとおなじ「東京に空がなくなった」からだ。
 じつは取材に訪れるまで、筆者もこの場所はたんなる文化遺産なのだろうと思っていた。だが構内には歴史的な施設に混じって最新の観測設備が建ちならび、今も最先端の天体観測に活躍しているのである。



【東京天文台略史1】
 日本における天文観測の歴史は旧く、江戸末期に幕府の天文方が浅草に天文台を設けていたという。明治維新後には欧米より天文学の理論と観測技術が積極的に導入され、本郷の東京大学構内に天文台が建設された。そして明治21年、港区麻布に国立の天文観測所が創設される。今では写真でしか見られぬこの観測所は、すでにお馴染みの半球形ドームを持つ設備を備えていた。これが現在の『東京天文台』の前身である。

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第一赤道儀室。
資料には「大正10年の建設」とある。
ドーム入り口の庇と階段の手すりは、ずっと後になって附加されたもの。建築時の意匠で復元して欲しい気もするけれど、ちゃんと保存公開されているだけでも感謝しなければ。
20mmF2.8 絞りF8 1/125sec. fujichrome Velvia (RVP)


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第一赤道儀室の側面。
ご覧のとおり、たいへん可愛らしい建物。歴史を感じさせる外観だが、ドーム開口部を含む可動機構は今も実働状態にある。
20mmF2.8 絞りF5.6 1/250sec. fujichrome Astia (RAP)


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東京天文台の広い敷地には、今も武蔵野の雑木林が遺る。休日の散歩にも絶好のロケーション。ただし夏期の見学時には虫除けスプレーを持参しよう。
20mmF2.8 絞りF5.6 1/125sec. fujichrome Velvia (RVP)


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