webマガジン「マカロニアンモナイト」月刊特集
シリーズ 写す人 第一回
「創造の記憶」(前編)
株式会社タミヤ社主・田宮 俊作氏

文/写真:中山慶太
取材協力・写真提供:株式会社タミヤ
1 2 3 4 5 6 7 8 2002年1月掲載


§ 記憶のなかの写真機 §

 子供のころからカメラ好きだった。今でも家に数十台のコレクションが並んでいるという。

「べつに、(カメラを)集める趣味はないんですよ。だから親戚にあげちゃったりして、台数はそれほど残っていない」それにキカイは使わないと駄目になるから、と語る田宮氏だが、筆者が持参した古いカメラに注ぐ視線は、やはりホビー愛好家のそれである。

「ライカですね。いいなあ、僕も学生のころに憧れて……もちろん買えないから、池袋のカメラ屋で国産のコピー機を買って使っていました。ニッカ(NIKKA)というカメラで、会社はすぐなくなっちゃいましたがね」

田宮氏がたいへんな苦学生だったいきさつは著書に詳しい。失礼ながら、はたしてカメラを買う余裕があったのだろうか。「いや、たまたまちょっと口に出せないような臨時収入があって(笑)。でもそのカメラはレンズ交換式だったけど、標準しか買えなかった」

 もともと写真がお好きだったのですか、と訊けば「いや、あのころ趣味といえば写真がいちばんですよ。なにか知的で、高尚な趣味という感じでしたから」と笑う。最初に持ったカメラは、兄弟が共同で使っていたのだという。

「でも、貧乏学生には厳しい世界でしたね。大学(早稲田大学法学部)の写真部にも入ったけど、フィルムも現像もお金がかかるでしょう。課題の枚数をこなすにはぜんぜんお金が足りなくて」すぐに止めてしまったのだそうだ。

 それでも、そこで学んだ写真の基礎と知識は、やがて実社会で役に立つようになる。父親の経営する田宮商事(現在のタミヤの前身)で模型の企画設計を担当するかたわら、仕事で写真も手がけるようになったからだ。

「ほんとうに小さな会社でしたから。商品の企画、設計、組み立て説明書の文章からイラストまで、なんでも自分でやらなければなりませんでした」宣伝用の写真もプロの写真家に依頼せず、田宮氏が自分で撮っていた時代があった。

「それまでは35mmしか使わなかったけど、宣伝写真用にブローニーフィルムの入る中判カメラを買って、アオリなどのテクニックも使って撮ったんですよ」

 取材に同席された同社メディア情報課の海野幸弘さんがそっと耳打ちしたところによれば、「社長は商品企画から取材、設計、広告宣伝まで会社のほとんどの仕事にかかわった経験があるので、会議などでも鋭い指摘があるんですよ」という。

 だが、もしも田宮氏が手先の器用なだけのホビー愛好家であったなら、あるいは社内の意見に耳を傾けないワンマン経営者であったなら、現在のタミヤは存在しないはずだ。モデラーの間ではよく知られたタミヤ一連の広告写真を見れば、そこには模型好きの琴線に触れるセンスがあふれていることがわかるだろう。

 写真も模型も、貧しい時代にはそれをカバーする工夫があった。限られた素材で豊かな表現にチャレンジした戦後の日本は、やがて高度成長の時代に大きな転機を迎える。


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初期のタミヤは木製模型の専門メーカーだった。本社社屋内の歴史館にはタミヤ歴代の製品が一堂に会しているが、その一角に展示される艦船模型はすべて木製である。パーツは素材に過ぎず、組み立てには知識と熟練、そして膨大な手間を要する。






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田宮氏が自ら取材に赴き、撮影した写真は現在も大切に保管されている。30年以上も前の取材写真を前に感慨深げな田宮氏。
 






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タミヤ歴代の製品を収容するアーカイブ、本社歴史館。ほぼすべての製品が揃うものの、一部に欠落もある。「マニアの方に寄贈していただいたり、地方の模型屋さんのデッドストックを譲っていただいたりしていますが、どうしても初期の製品などは入手できないケースがあります」とはメディア情報課・海野さんの弁。
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