酒飲みのロクロ体験記−後編−

 文・写真/因幡也寸人(いなば・やすひと)



1 2 3 4 5 6

§飲ンべぇ、笠間焼を学ぶ(1)§



 前編では、飲ンべぇが肴をあしらう皿を冷や汗かきつつロクロで挽き終えたところまでお伝えした。さて、その後の処女作の成りゆきをお知らせしなくては旨い酒には辿り着かない。
 しかし焼き上がりには時間がかかる。この間を使って笠間の散策をしようじゃないか。そもそも関東近郊なら、という安易な発想で笠間を選んだのだ。笠間焼についての知識があってのことではないのだから、皆さんも情報不足というものだ。
 笠間焼のルーツは江戸時代にまで遡る。安永年間(1772〜1781年)に箱田村(現在の笠間市箱田)の久野半右衛門という人が信楽(しがらき)の陶工・長石右衛門の指導で焼き物を始め、築窯したとされている。だから、その当時は箱田焼といわれていた。つまり信楽焼が本家といえる。栃木県の益子焼はさらに笠間から派生しているものだ。

 ここで脇道にそれて、さらに時代を遡っていくことにしよう。平安時代に広まった常滑焼(愛知県)から丹波焼(兵庫県)、越前焼(福井県)、そして信楽焼(滋賀県)が発展したのが鎌倉時代。この12〜3世紀にかけて各地に発展し、現在でも続く窯を「六古窯(ろっこよう)」と呼んでいる。上の4つに瀬戸焼、備前焼を加えたものがそれである。どれも一度は耳にしたことのある窯で、今でも脈々と受け継がれているのですね。
 5世紀頃に朝鮮半島から伝わった須恵器(すえき)が、日本の陶器の歴史の大本である。そこから各地に派生し、前述の流れになったのだ。ちなみに有田焼(伊万里)は日本の磁器の先駆けで、やはり江戸時代に興されている。白い素地に鮮やかな模様を施した美しさは一気に人気を博したという。
 なんだかNHKのような構成になっちゃったな。

 


<--Back   Next--> 


拡大表示--> 

笠間焼は今、自由な作風で知られる



Webmaster :
ammo@tokyo.fujifilm.co.jp
Copyright :
マカロニ・アンモナイト編集部