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ボンがひらひら舞うようなアラビアの文字を見たことがあるだろうか。そうそう、右から左に書くヤツ。『右から左』は一見掟破りにも感じられるが、我々日本人だって『縦書き』というコンピューター泣かせの言語を持っている。街を走っている商用車の胴を反対車線から見れば『気電京東』って書いてあったりもする。いくつあるかは知らないが、世界広しと言えど、表紙に向かって右側に背中がある書籍、雑誌、新聞を持つ国、及び言語は、現在、日本語とアラビア語、ペルシァ語くらいだろう(モンゴル語もその仲間かも)。そんなこんなで、右から左には結構慣れてる日本から、『書』が『道』として存在する遠いような近いような西アジアの書道の世界を訪れてみた。


アラビア書道ってなんですか

ラビア語圏、すなわちイスラム教の世界は、西はスペイン、アルハンブラ宮殿の装飾から東はマレーシアあたりのモスクまで、とてつもない面積で広がっている。現在、大まかに見てもイラクからモロッコまでアラビア語が通じる国々がずらっと連なり、これに中国語が加われば世界中どこへ行っても不自由しない、ってなもんである。アラビア語がここまで多くの人々に話されている理由の一つは、イスラム教の教典であるところの『コーラン』が何語への翻訳も禁じられている(とされている)ところにあるだろう。アラビア語を学ぶこと、イコール、コーランの教えに親しむこと、に結びつくのだ。

 さて、西アジアの書道と言えばとりあえずアラビア書道である。アラビア書道の芽は7世紀始め(日本だと大化改新、とかやってた頃)、イスラム教の誕生とともに、神を讃えるコーランをより美しく書き表す必要性から生まれた。そして、印刷技術の普及までまだまだ時間がある10世紀のアッバス朝(バグダッド、イラク)の大臣イブン・ムラクがその芽を育て、大輪として開花させたと言われている。華麗な装飾が施され、書道家が1ページ1ページに心血を注いだコーランは王に献上され、偶像崇拝が禁止されているイスラムの世界における美術文化としての絢爛さを極める。
 印刷登場前にイスラム教圏で『書道家』と言えばコーランを書く人のことを指した。現在でも、アラビア語圏の新聞社や出版社はタイトルを書くための書道家を抱えているくらいで、いくらコンピューターが発達しようがなかなかソフトへの置き換えのきかない文化なのである。


イランの芸術ペルシァ書道

「イランの書道は本当はインターネットで公開するような物じゃないんです。」イラン人のペルシァ書道家イサザデーさんはこう切り出した。え?「個展を見に来てくれる人達が新しい作品をとても楽しみにしているんです。」ペルシァ書道の精神性とイサザデーさんの気遣いである。そこをなんとか曲げて作品を見せていただけませんかねぇ、日本人にイランの文化的側面を知ってもらうためにも、と頼み込んだらイサザデーさんはちょっとはにかんで「これならいいです」と作品を選んでくれた。

 というわけで、今回のお題、ペルシァ書道をとくとご覧いただきたい。ペルシァ書道はイランで親しまれている芸術の一つである。イランの日常の言語はアラビア語ではなく、インドや周辺各国に広がるペルシァ人のペルシァ語なのだが、イサザデーさんは「アラビアの文字も元はと言えばペルシャから発生しているのです。」「ペルシャ語でコーランは書きませんから、ペルシャの書道で書かれていることは有名な詩の一部であることが多いです。」と説明してくれた。  そういえば、アラビア書道の数ある書体の一つ『ファースリスィー』は14世紀頃ペルシャで開発された書体で、その流麗さは他の書体と一線を画している。それは宗教的文書よりも、特にペルシャの詩集などにもっぱら使用された、と資料にある。まさに右から左に流れるがごとくペルシャから流れ出た文字は別の文化とともにもう一度ペルシャで実を結んだのかもしれない。

イラン一万年の歴史

「イランには一万年の歴史があります。」作品の額をテーブルの上に並べて、イサザデーさんは言った。げ!いちまんねん!グラハム・ハンコックもまっつぁおだ。それは何か王朝があったとか、そういうことでしょうか?「人がいて、家を建てて住めば、歴史は始まります。イランの歴史の本には(とイサザデーさんの事務所の本棚に並ぶペルシャ語の書籍を指して)一万年前のことから書かれています。」
 日本の歴史の教科書に記載されているイラン地方の歴史は紀元前6世紀、アケメネス朝ペルシァが登場し、全オリエント(東はインダス川から西はエーゲ海北岸、南はエジプトまで)を統一する、ってあたりからだろう。その後アレクサンダー大王に滅ぼされるまでイラン地方は世界の中心であったと言っても過言ではないのだ。それから5世紀くらいあとにササン朝ペルシァという成熟した文化を持つ王朝が登場し、7世紀にイスラムによって滅ぼされるまでその栄華を誇った、と物の本にある。イランには今も歴史的資産が多く残されていて当時の面影をしのぶことができるのだそうだ。行ってみたくなるじゃないか。


何が書いてあるんでしょうか

の実家にはどういうワケか古い(パーレビ国王が文を寄せていて、写真も出ている)イランの大写真集があった。子供の頃から何度となくめくっていて、家を出るときに持って来てしまったほどであるのだが、その豪華本には各章のトビラごとに様々な詩歌が(ったってよめるワケじゃないけど)綴られている。どうやら『詩』というものはイラン人にとってはとても大切なものらしい。
 「例えば、この部屋は禁煙、なんて言うことを書道では書きません。イラン人が大切に思っていることを書きます。」と言うと?「それは、愛、です。」「恋人に捧げる詩が書かれていることが多いです。」そう説明されるまでもなく、イサザデーさんの作品からはただの文字の羅列ではない何か崇高な感情がにじみ出ているような気がする。


どうやって書くんでしょうか

外なことだが、すらすらと書かれているように見えるこれらの文字は実はじっくりゆっくり、書の規則に従い、全体のデザインを考えられながら、大変な集中力をもって表現される物である。「中学を卒業するまで、学校で書道を習います。でも、そんなに厳しくありませんが。中学を出たあと、興味がある人はまた別の学校に通ったりして練習します。私は書道家の一家に育ったので自分の家で練習していました。」最近日本のテレビでもイラン映画が放映されることがある。アッパス・キアロスタミが撮った文芸の香り高い、子供が主人公の作品(『ともだちの家はどこ』など)を見たことがあるが、私はつるっとした輪郭にまっすぐな瞳がきれいな、にこにこと礼儀正しいイサザデーさんに映画の中の一所懸命な子供達の姿を重ねてみた。

 イラン人が普段書いている文字と同じなんですか?「書道用の書体なので、普段イラン人が書いているのとはちょっと違います。」筆というか、ペンはどうなさってるんでしょう?「向こうでは売っている物を手に入れることもできますが、日本にはありませんから、私は自分で竹を削って作っています。」墨汁、、じゃないですよねぇ。「普通のインクを使っています。」もし習いたい、と思ったらイサザデーさん、教えてくれますか?「はい。書道は遊びではありませんので、イランの歴史や文化を知りたい、と言う方がいらっしゃれば喜んでお教えします。」イサザデーさんの瞳は一層深く輝いた。

 イサザデーさんの作品を見せていただき、話を伺ったあと建物の表に出てみれば、そこはチョベリバな若者が闊歩する週末の夕方の渋谷の街、だったのだが、時空がねじ曲がって色のない世界に落ちてきてしまったような、空気が薄くなったような感覚がした。

... To be continued.


イサザデー・シャーロさんのメールアドレス(日本語OK)

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