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アラブの文字はカッコイイ

界一カッコイイ建物はパリの『アラブ世界研究所(アラブ文化センター、Institut de Monde Arabe)』だ、と勝手に私は思い込んでいる。最初に行ったのが湾岸戦争の直前で、入り口で荷物チェックをされた。そのあともパリに行くたびに訪れるのが恒例となっている。そのジャン・ヌーベル設計の建物がどんだけものすごいかは、ここでは省くとして、『アラブ世界研究所』に行く楽しみのひとつは一階の結構広いみやげ物屋にある、ということを挙げておきたい。シャンゼリゼあたりでブランド漁りをしていては絶対にお目にかかれないレアなアイテムが目白押しである。
 本物のアラビア数字は我々がイメージしているものと全然違うのだが、そのアラビア数字の腕時計とか、アラビア文字をデザインしたTシャツとか、パリくんだりまでやって来てなに買ってんの?と言われそうなものの数々は、中東の観光地でも入手困難なのだ。そこで私は出会ってしまったのだ、アラブのカリグラフィの絵はがきの山に。一枚一枚どれもこれも四の五の言わせないカッコよさがある。建物もカッコイイけど、文字もカッコイイぞ!アラブ!

日本にもアラビア語書道家がいた

のノリで「アラブの字、アラブの字」と呪文のようにつぶやいていたある日、とある新聞の文化欄で私が焦がれているあの文字を大きく紹介していた。このデザインされた文字が日本では『アラビア書道』とネーミングされていることもわかった。記事を書いていたのは東京外国語大学の講師でアラビア語書道家の本田孝一さんなのだが、日本人にもアラビア語の書道家がいる!とワクワクしてから幾霜星、いま、その本田さんが、目の前でアラビア文字を書いてくださっている。執念が岩をも通した気分だ。

 「あー、それは私が言い出したみたいなもんです」『アラビア書道』という名称の言い出しっぺは本田さんだった。「外語大を出てから、石油省の通訳の仕事をしにサウジアラビアに行ったんです」70年代半ば、本田さんはそこで、地図の測量チームに加わり、砂漠を移動する日々を送った。そのときの現地スタッフの中にアラビア書道の書道家がいて、もともと興味があったこともあり、テント生活をともにしながら教えてもらうようになったのが本田さんとアラビア書道の出会いだとおっしゃる。その後本田さんは切磋琢磨して世界的に高く評価される書道家となり、各国で個展を開ける第一人者となった。本田さんの作品はかなり前衛的で、革命的、と絶賛されている。本田さんはアラビア書道に触れるまで日本で書道をやったこともないし、イスラム教徒でもないらしい。そんな『よそ者』の前衛を喜んで受け入れるのだから、閉鎖的、と思われているアラブは実はかなり懐が広いのではなかろうか。

美しさは数字で定義されている

て、それでは、ということで、実際に文字を書いて見せていただいた。流れるような美しい曲線が非常にゆっくり描かれていく。「書体それぞれに厳密な規則があるんです。例えばこの書体では、この曲がるところから、このはねるところまでは点が5つ分でなくてはならない、とか、この棒の長さは点7つ分でなくてはならないとか、この棒のこの曲線はここでこことここを結ぶ直線に接して……」エ!この文字にそんな幾何学的規則が隠されていたとは気がつかなかった。「それだけでも書けるようになるまでに数年かかります。何年もかかって究めていくものなんですよ」本田さんが『道』と呼んだ理由が少しずつ見えてくる。

 「ここのこの曲線が難しいんです」と言いながら本田さんはちょっとかすれてしまったところをペンの先でさささっと直した。「日本の書道は二度書きしちゃいけない、なんて言いますがアラビア書道ではいいんですよ」息を詰まらせながらペン先の動きを追っていた私はちょっとほっとした。

そういえば、道具は『道の具』と書く

田さんのペンは手作りだ。「本当はチグリス川の河口の葦が一番いい、なんて言われてますけど、日本の葦は堅いので、私は竹を削って作っています。文字の大きさや書体で微妙にペンも変えなくてはならないので、いくつ作っても足りないくらいです」箱の中にはずらっと竹のペンが並ぶ。ご自分で金属を細かい波形に細工して、インクを多く保てるようにしたものもある。「ちょっとでもすり減ったりしたら、文字がきちんと書けなくなるので、ヤスリでしょっちゅう削ったりしないとならないんですよ」メンテナンスにも余念がない。

 「私はインクも手作りです」本田さんはありあわせの小瓶に黒い液体を入れて、それをペン先につけて書いている。「イランから送ってもらった顔料を水などで溶いて作るんです。昔はかまどの炭を使ってたんですけど」と小さなビニール袋にたくさん入った小型の金平糖のような顔料を見せてくださった。「蜂蜜を混ぜる、なんて人もいますね」流動性があり、かつ、濃厚でなくてはあの文字は書きにくいのだそうだ。
 「紙はなるたけツルツルしたものがいいです。私はアート紙で書いてるんですけど」インクをすぐ吸い込んでしまうような紙で書くと、ゆっくり書いている途中でペンからインクがなくなってしまうし、ザラザラした紙だと引っかかりがあってなだらかな線を書く邪魔のなるのだろう。「こうやって少し折り目をつけて」と本田さんは文字を書くためのガイドラインをうっすらと紙につけた。

アラビア文字から宇宙へ

話をうかがたのは師走に差し掛かった直後だったのだが、本田さんは年末にマレーシアで何度目かの個展を行う、ということで「ほとんどマレーシアに送っちゃったんですけどね、これがまだありまして、」と一点が全長2メートル以上にも及ぶ3部作を広げて見せてくれた。一点を仕上げるのにどれくらい時間がかかるのだろう。「一日に一行、ですか。でも気に入らないと何度も書き直ししますので、ひとつ3ヶ月かかるかなぁ」「私はこれを書くのが本当に好きなんです。一日中でも書いていられます」一作一作のちょっとした紙のシワにまで本田さんの愛情が織り込まれている見事な作品だ。これほどの鍛錬と熱意と愛情が移された作品を、アラビア語が読める各国の人々は一作に30分もかけて実際に読むらしい。「ここに点が一つ抜けてますよ、とか指摘されることもあるんで、気が抜けません」そう笑う本田さんは、出典先の国々の人々との交流を心から楽しんでいるようだ。

 作品のひとつに砂漠の砂の山が織りなす波を型どり、さまざまな青色で染め上げた中にコーランの一節を延々と綴ったものがある。本田さんの目には夕闇迫る砂漠の風紋に文字が見えたという。コーランには神を讃える表現とともに自然や宇宙への賛美が多く書かれているという。本田さんはアラビア文字の形の中で自然や宇宙をつかみ取り、コーランが喚起する壮大なイメージをビジュアライズしているのだ。その表現はむしろ仏教的と言える。
 「都内と近郊でいくつか教室を持っているんですが、結構盛況で。実際に何人かの生徒は、中東に書道を学びに行ったりしてるんですよ」と得意げな本田さんの眼差しは世界を超えて宇宙を見据えているようにさえ思えるが、日本唯一の、世界に通用するアラビア語書道家としての気負いは感じられない。ひとつの道を究めようとしている人独特の屈託のなさが、これから第二、第三の、『ホンダ』、日本人アラビア語書道家を生み出していくに違いない。


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