■月刊特集
取材・文/中山慶太
写真/林 敏一郎(フォレスト)


1997年4月掲載

§消えた夢語り§

むかし、日本の街の空には『アドバルーン』なるものが浮かんでいた。おおきな垂れ幕を引きずって風に揺れるカラフルな気球は、まるで虹のように実態がなさそうに思え、しかしそのロープをたどって歩けば、たいがいは見慣れたデパートの屋上に行き着いてしまう。実態はおよそロマンとかけはなれた原始的な広告手段だったのだ。
 ある飛行機少年(どこの学校にもいた)は、教室の窓から気球を眺めて考えた。深夜にひと気のないデパートの屋上に忍び込み、気球を繋ぐロープに身体を縛りつけて断ち切れば、手軽な空の散歩ができるに違いない。きっと縁日の風船みたいに浮力は徐々に失われるはずだから、丸一日も飛べばどこかに着陸するだろう。南から風が吹く季節なら、海の上に流される心配もないから安全だ。

 もちろん、平凡な街の凡庸な少年にはこの作戦を実行にうつす勇気があるはずもなく、計画は妄想で終わった。あのシンプルな広告気球がその街の空から消滅したことを知ったのは、彼がもう空を見上げなくなってしばらく後のことである。


 空を飛ぶという行為が、ひとびとの夢語りから消えて久しい。こんにちの日本では飛行機に乗った、または乗せられた経験のない人は携帯電話を持たない人の数より少ないだろうし、ヘリコプターもチャーターできます、などと柴田恭平がクレジットカードの威力を喧伝していたのは、ほんの数年前のことだ。今や技術と経済力を以てすれば、重力に逆らうことなど造作もないのだろうか?

 よくしたもので、世の中にはそんなお手軽な手段に頼ることを潔しとしないひとたちがいる。できるかぎりシンプルに、そして自然の法則に逆らわずに空を飛ぶ、それが今回のお題目『熱気球』とその愛好家たちである。

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§ワタラセ作戦指令室の朝§

て、『熱気球』と聞けば誰もがその姿を想像できるだろうが、実はその正体を詳しく知るひともあまりいない。飛行の原理は?どうやって離陸するのか?飛行中はどうやって方向を変えるのか?墜落する危険はないか?果たしてどこに行けば乗れるのか?などと疑問はとめどもなくわいてくる。

 悶々とする私を見かねてか、編集スタッフが『日本気球連盟』というちょっとお堅い名前の団体から情報を入手してくれた。どうやら東京近郊で熱気球の競技会が開催されるらしい。場所は茨城・栃木・群馬・埼玉の県境付近に広がる遊水池、会期は3月の下旬であるという。原稿の締切を気づかう素振りを見せながら、さっそく主催者にアポイントを取って、取材に駆けつける算段をめぐらせた。

 競技の会場となる渡良瀬遊水池は、渡良瀬川が利根川に合流する少し手前に、治水を目的に設けられた湖とそれを取り巻く広大な平原だ。30万分の1の地図でも容易に発見できる。まだ夜も明けやらぬ頃、私はカメラマンの林さんとともにその川下の土手沿いにある『古河スポーツ交流センター』に到着した。この施設には今回の競技会『ワタラセ・フライイン‘97コガ』の実行委員会が置かれている。待つことしばし、競技のブリーフィングは午前6時ちょうどに始まった。


 会場にはその日の競技に出場するチーム、合計45組分の椅子が置かれ、正面の机には実行委員が控える。その脇には何やら太線や印が書き込まれた大きな地図が掲示され、まるで戦争映画の作戦指令室のような雰囲気だ。出場者の席には外国からの参加者の姿も見える。

 天気概況の説明をはさんで、競技の説明がはじまる。門外漢にはまったく理解不能な用語が飛びかっていたが、後で知ったところによれば競技は所定の飛行指示(『タスク』と呼ばれる)に従って行われるらしい。これは離陸後の飛行コースと目的地を指示した、まあ作戦指令みたいなものである。ますます戦争映画だなあ、などと思っていたら、参加者には携帯用のGPS(軍事衛星を利用した電子コンパス)まで支給されるではないか!ハイテク化の波は、牧歌的な熱気球の世界にも押し寄せているのだろうか?

 こちらの勝手な妄想をよそに、各チームはじっと説明に耳を傾けている。皆ものすごく真剣だ、とその時は思ったのだが、実は朝が早くて眠かったらしい。参加者の年齢層は30代を中心に、下は20代から上は50〜60代と幅広く、割とフツーのひとが多い。大半は堅気の会社員で、すなわち平日のこの日は会社を休んで来ているのだった。参加者には女性も多いけれど派手なチームウェアを着ているチームなどは少なくて、皆おしなべて地味な格好をしている(実はこれには深いわけがある)。ちょっと昔の山岳部の合宿みたいで、なんだか懐かしい雰囲気だ。


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§熱気球が飛ぶまで§

の日の競技は午前と午後の2回に分けて行われ、午前のスタートは7時過ぎである。ブリーフィング終了後、各チームのクルマは一斉に土手を越えて河川敷へ向かう。私たちは今回の取材にご協力いただく『バルーンスポーツクラブ東京(以下BSCT)』のクルーと合流、離陸地点に向かうことになった。
 各チームは広大な空き地に適当な(はた目には本当に適当だ)間隔を置いてクルマを止め、セッティングにかかる。BSCTの4人のクルーがワゴン車の荷室から運び出したのは、4本のガスボンベと籐で編んだ籠(バスケット)、そして大型の扇風機である。

 ここで熱気球の成り立ちをおさらいしておこう。基本的な構成は巨大な気球と人間が乗るバスケット、そして燃料ガス(プロパンガス)が詰まったボンベとこれを燃焼させるバーナーに分かれる。人間とガスボンベを納めたバスケットは高さおよそ1メートル、その上には金属製のシリンダー(フレーム)が組まれ、上端にバーナーが固定される。このバスケットにワイヤーで繋がれる気球本体は強靭なナイロン製で、ちょうど玉ねぎを天地逆にしたようなおなじみの形が標準仕様である。バスケットの上に位置する最下端にはバーナーの熱気を取り入れる穴が、そして最上端には熱気を逃がす穴が開けられ、その内側には手動で上下するパラシュート状のバルブ(空気弁)が設けられている。気球の中の空気をバーナーで熱すれば上昇し、パラシュートを下げて熱気を逃がせば下降する、というしくみだ。


 では、なぜ熱気球は空を飛べるのだろう。それは温度が高くなると膨張する、という気体の性質を利用しているからだ。気球を加熱すれば内部の空気は膨張するが、気球の容積は一定だから空気密度は低くなり、周囲の空気より軽くなる。これで熱気球は浮力を得るのだが、この浮力は気球の内側と外側の温度差を利用しているから、外気温が低い条件の方が効率は高くなる。夏よりは冬が、暖かい国よりは寒い国の方が飛行には適しているというわけだ。

 もちろん、気球内部の温度が下がれば浮力は失われる。しかも気体は熱伝導率が高いので、気球の表面で熱交換が行われて温度はどんどん低下する。それゆえ、熱気球の高度を保つためには絶えず気球の内側の空気を暖め続けなければならない。熱を使わない風船や飛行船は、空気より軽い気体(水素やヘリウムなど)を使ってこの問題点を克服しているのだ。

 さて、BSCTチームのクルマから取り出されたバスケット(床面積が畳一畳弱ほど)の中には、ガスバーナーと一緒に淡いグリーンの気球本体がたたんで納められている。この気球を三人がかりで地面に広げるかたわら、一人がバスケットの上に筒状のフレームを組み、その上にバーナーを取りつける。バスケットにガスボンベをベルトで固定し、配管を繋いでバーナーを試運転(ものすごい音を響かせて炎が吹き出す)したところで、いったんバスケットを横倒しにする。丈夫なワイヤーでバスケットに繋いだ気球の下端を広げて口を開け、そこに扇風機で風を吹き込む(扇風機には小型の発電機が取りつけられている)。地面に広げられたぺしゃんこの気球が風をはらみ、しだいに膨らんでくる。気球がある程度膨らんだところで、バーナーを焚いて熱風を送り込む。突風に備えるため、バスケットはロープでワゴン車に繋がれ、気球の上端に結んだロープを別のクルーが保持している。そうして気球は次第に浮力を持ち、まるでそれ自体意志を持つかのようにゆっくりと起き上がる…。

 文章で説明するといささか味気ないが、熱気球の離陸体制がととのうまでのプロセスはこのようなものである。この間、およそ30分。乾いた河川敷の空気をバーナーの炎が焦がし、やがて巨大な熱気球(標準的なサイズで、高さ・直径それぞれ20メートル弱)がむくむくと立ち上がる光景はまことに壮観だ。ましてこの日は、合計45機の気球がいっせいに空を目指したのだから、早朝にもかかわらず大勢のギャラリーが押しかけたのも無理はない。


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§風を読む§

て、膨らませた熱気球は浮力と重力(機体の総重量)がほぼ拮抗しているのだけれど、地上でこの状態を保つには絶えずバーナーで熱気を送り込まなければならない(クルマのアイドリングのようなものだ)。だから熱気球を地上に係留するのは、単なる燃料の浪費である。3名のクルーを乗せたBSCTの機体は、離陸の準備が整うと瞬く間に地上を離れて上昇していった。他のチームの機体も続々と上昇していく。

 地上に残された私たちは、このレースで地上班を務める今井和宏さんと一緒にクルマで目的地を目指すことにした。地上班の役目は、気球の着陸地点に先回りして着陸を誘導、速やかに回収することだそうだ。やはり熱気球は“風まかせ”の乗り物なのだろうか? 「それは条件にもよりますけど、(方向は)ある程度コントロールできますよ。でなきゃ、競技になりません」と、今井さん。そういえば、競技のルールはどうなっているのだろう。 「飛行距離や時間など、いくつか種目はありますけど、基本的にはタスクで指示されたルートをたどって目的地まで飛ぶ。で、目的地に印されたターゲットにマーカー(標識)を落とす。その精度を競うわけです」

 でも、どんな気球にも、風は平等に吹いているわけですよね。どこで差がつくんですか。 「風向きや風力は高度によって変わります。だからパイロットは高度を選ぶ。その勘とテクニックで差がつくわけです」なるほど。

 ところが、この日の午前中の競技では気球はひとつもターゲットに到達できなかったのだ。どうやら主催者が事前に読んだ風向きが変わってしまったらしい。

「まあ、よくあることですね」と、ターゲット地点に先回りした今井さんは、トランシーバーで機上のクルーと交信しながら、慌てる素振りも見せない。熱気球は、やはりおおらかなスポーツなのである。

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§熱気球に乗る(1)§

ういうわけで、午前中のレースは不成立に終わった(らしい)。ターゲットをそれた熱気球はすぐに着陸するかと思いきや、それぞれ飛行を楽しんでいる風情である。BSCTの熱気球もなかなか着陸体勢に入らない。

 今井さんは速やかに風下の土手にクルマを移動し、機体の到着を待つ。地上のクルーは上空の風を読み、素早く動かなければならないから大変だ。

 待つことしばし、BSCTの熱気球は高度を下げて着陸体勢に入る。機体は土手の手前の、葦が生い茂る草原に着地した。

「ちょっと来てください」気球に駆け寄った今井さんが、私たちに向かって手招きする。熱気球を土手の上まで運ぶのだろうか。


「はい、ここを抑えて。空になったボンベを出しますから、そこに乗ってください」

え、乗るって…飛ぶんですか?

「今、クルーが一人降りて軽くなりますから。早く乗らないと、浮いちゃいます」慌ててバスケットに乗り込む。カメラマンの林さんも続く。

 こうしてひそかに待ち望んだ熱気球体験のチャンスは、心の準備をする間もなくやって来たのであった。さて、果たして熱気球とはいかなる乗り物であろうか。

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