■月刊特集
取材・文/中山慶太
写真/林 敏一郎(フォレスト)+中山慶太


1997年5月掲載

§熱気球に乗る(2)§

て、突然の招待にとまどう私たちを乗せた熱気球は、バーナーの音とともに颯爽と大空へ浮上する…はずだったのだが、実はなかなか地上を離れないのだった。

「う〜ん、重いなあ」バーナーを間断なく焚いて気球に浮力を与えようと試みるのは、今日のメンバーの中でいちばんの若手、桜井顕治さんだ。なにしろ小柄な女性クルー一人と空になったボンベを2本降ろしたところに、大柄な男性二人が乗り込んだのだから、まるまる一人分は重くなったはずである。桜井さんは離陸のきっかけを与えようと、バスケットを揺すってみる。そんなことで飛ぶのかな?

「よいしょ」
 と、桜井さんのかけ声とともに、周囲の風景がなめらかに移動しはじめた。気球の中の空気温度が上り、浮力が機体全体の重さに打ち勝ったのである。熱気球は追い風を受け、二階建ての家屋ほどもある正面の土手を軽々と越えて離陸した。









バーナーを操作する桜井さん。

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§熱気球に乗る(3)§

表を離れた機体は、重力の鎖を断ち切ったかのようにぐんぐん上昇していく。とはいっても、バスケットの中は静粛そのもの。離陸時に盛大な振動や騒音、そして加速Gが加わる飛行機と違い、熱気球はそれ自体動いていることが実感できないほど静かな乗り物なのであった。エレベーターより平和、といえばその静けさがご想像いただけるであろうか。ただひとつ、間欠的に焚かれるバーナーの轟音を除いて。

「静かですねえ」機体がようやく水平飛行にうつり、少し落ち着いた私が思わず漏らした感想に、かたわらの女性パイロットが微笑んで答える。

「ええ、静かでしょう」

 その女性は、高本明美さん。彼女はご主人の裕久さん(このレースの主催者である)とともに熱気球の魅力に取り憑かれ、飛行回数は800回近くになるという 。今日のメンバーでは最年長のベテランだ。

 今の高度は何メートルくらいですか?「およそ400メートルくらいですね」と、桜井さんが素早く高度計を読む。400メートルといえば、す でに東京タワーの高さを越えている。それで、どれくらい上昇できるんですか?「理論的には大気圏のかなり上層まで行けますけど、人間が耐えられないし、この地域は上に飛行機の航路があるから4000フィート(約1200メートル)までと決められています」

高度400メートルからの眺め。
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 高本さんと桜井さんは、こちらの質問に落ちついて答えながら、絶えず周囲に眼を向ける。パノラミックな視界に見とれているわけではなくて、他の機体や鉄塔などの障害物に気を配っているのだ。多数の熱気球が同時に飛行するレースでは、衝突の危険が高まる。同じ高度での衝突はそれほど問題はないらしい(この日も目撃した)が、垂直方向の衝突は危険である。上方は巨大な気球が視野をさえぎるから、クルーは特に斜め下を注意深く監視している。

 とはいっても、そこは広大な空の上。周囲はかなたの地平線まで視界をさえぎるものがなく、耳をすませば地上を走るクルマの音がわずかに聞き取れる程度の、限りなく穏やかな空間なのだ(ただし、くどいようだがバーナーを焚いていない時の話)。だからクルーの会話も平和そのものである。

「あ、梅が咲いてる。今度気球でお花見やりませんか」

「お酒持ち込みで?いいわね、それ」

 まさか本当に機上で酒宴、というわけにはいかないだろうけれど、熱気球には飲酒運転などの罰則がないことも確からしい。やはり後で知ったのだが、日本での熱気球飛行には免許も必要ない。それに準ずるものとしては『日本気球連盟』が発行している『熱気球飛行士技能証』があるが、法律上は自転車と同じような扱いになる。日本の法律が未整備といえばそれまでだが、愛好家たちがきちんとマナーを守って飛び、事故などの大きなトラブルを起こさないから問題にならないのだろう。

これが『タスク』。
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§着陸はちょっと難しい§

て、いつまでも乗っていたい気持ちにさせられた熱気球であったが、もちろん飛行時間には限りがある。

「今、どこに向かって飛んでいるんですか」というこちらの質問に、桜井さんは真顔で「それは秘密です」と答える。もちろん半分は冗談だが、進行方向を正確に読めないというのは本当らしい。

 実は熱気球の飛行でいちばん難しいのは、しかるべき場所に着陸することなのだそうだ。しかるべき場所とは、安全に着陸でき、回収作業をスムーズに行える場所である。基本的に上昇と下降しかできない熱気球だけど、操縦は簡単ではない。例えば、バーナーを焚いたりバルブを開いたりしても、機体が反応するまでにはかなりのタイムラグがある。しかも高度が変われば気流も変わる。反応の遅い機体を目的地に正確に導くためには、こうした変動要素を先読みしなければならない。熱気球は奥が深いのだ。

「あの土手が良さそうね」と高本さんが指を指す。その方向を見れば、確かに小さな川べりに土手があり、すでに地上班の今井さんと、先ほど気球を降りた女性、林佳奈子さんが先回りしている。気球の中から垂れる赤いロープを桜井さんが引くとバルブが開き、機体はしだいに高度を下げる。着陸地点の土手が迫ってくる。電線などを見過ごさないように高本さんの注意が飛ぶ。


「ちょっと衝撃がきますよ」
 という桜井さんの声に、あわててフレームにつかまるが、着陸のショックはこちらの予想を超えていた。ドスン!という音とともに機体は接地し、反動で身体が揺さぶられる。バスケットはわずかに気球に引きずられ、土手の中腹に静止した。桜井さんは目指すポイントに正確に機体を着陸させたのだ。

「おつかれさまでした」

 駆け寄ってきた地上班をはじめ、チームの全員から声をかけられた。ただ乗せられていただけだもの、疲れてなどいないけど、それはおそらくこちらのアタマを冷やす意味もあったのだろう。時間にしてわずか25分ほどの飛行ではあったけれど、私ははた目に恥ずかしいほど興奮していたのだ、きっと。

 土手の上に覆いかぶさった熱気球は、ゆっくりとしぼんでいく。時ならぬ来訪者の巨体を眼にした近所のひとが見物に集まってくるが、BSCTチームの4人は急いで気球の分解と撤収にかかる。その手順は組立ての逆だけど、たいへんなのは気球本体をたたむ作業だ。なにしろ完全に空気を抜かないと、バスケットにきちんと収まらない(ゴムボートの空気を抜いたことがある人なら、その苦労がわかるだろう)。少しずつたたんでは、全員で押えつけて空気を抜く。しかも地面が乾いていれば土ぼこりにまみれ、湿っていれば泥だらけになる。なるほど、競技の参加者が地味な、というか、汚れても気にならないような格好をしていたのは、こういうわけだったのだ。

この日のレースは世界チャンピオンが参加した。

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§熱気球の歴史など§

収を終えると、チームの面々は夕方のレースまで休息を取る。真昼には“凪ぎ”で風がなくなるため、競技ができないのだそうだ。何しろ朝が早かったから、この頃にはチームのメンバーからあくびも出ようというもの。とりあえず眠気を抑えて、スタート地点に戻ることになった。おっと、その途中に気球の燃料補給も忘れてはいけない。

 空になったボンベが持ち込まれたのは、地元古河市のプロパンガス屋さんだった。BSCTのメンバーはガス屋のおじさんと顔なじみで、ガスを詰めている間に次々と補給に訪れる他チームも交えて、四方山話に花が咲く。他府県のクラブ員同士にも顔見知りが多いらしく、すぐに和気あいあいとした雰囲気ができあがるのはこういう趣味の良いところだ。

 この渡良瀬遊水池周辺は、関東地方の熱気球のメッカである。というか、ある程度の距離を自由に飛べるのはここだけらしい。この土地を本拠地にするBSCTは、機材を運ぶ手間を省くために遊水池の側に格納庫とクラブハウスを構えてしまった。総勢30名というメンバー(やはり平日のこの日は参加できるひとが少なかった由)の大半は東京近郊に住んでいるけれど、週末はこの付近で過ごす時間が多いそうだ。

広い河川敷が気球で埋めつくされる。
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 朝のブリーフィングが行われた会場に場所を移し、お話をうかがう。まず、メンバーが気球にのめり込んだきっかけは。
「私は大学のサークルで飛んでから、かな」と、林さんは語る。すでに170回ほ どの飛行経験を持つ彼女は、高本さん夫妻とともに海外遠征の経験もあるそうだ。ちなみに桜井さんは同じ大学の後輩だという。今井さんも大学のサークルで飛んだのがきっかけ。高本さんご夫妻は、グライダーからの転向組らしい。

 ここで実行委員会の仕事が一段落した高本さんのご主人、裕久さんと、BSCTメンバーの中田伸悦さんが話に加わる。すでに飛行回数が1000回を越えた(日本では数人しかいないらしい)高本裕久さんによれば、熱気球は歴史上で長い間忘れ去られた存在だったという。

「もともと熱気球は、フランスの紙屋さんが発明したんです。1783年に、モンゴルフィエ兄弟が飛んだのが最初だった。彼らは人類ではじめて空を飛んだのですが、紙や布で作られた初期の熱気球は実用の道具としては未完成で、飛行船や飛行機が発明された後にはすっかり廃れてしまいました」

「それが、ナイロン繊維とプロパンガスを使って、趣味の道具としてアメリカで復活したのがおよそ半世紀前。日本には1969年に紹介されたのが最初です。今では『日本気球連盟』の会員も3000名程になったし、パイロットも1000人くらい。熱気球クラブは全国で200前後あるし、競技も年間20数レースが開催されています。でも、欧米に比べればまだまだですね」

日本では自由に飛べる場所が少ないのが、熱気球クラブの悩みの種であるという。
「だから北海道や九州のクラブは強いですよ。季節を問わずに飛べる場所がありますから」BSCTのホームグラウンドであるこの渡良瀬遊水池も、春から秋にかけては飛行区域が限定されるそうだ。それは万一遊水池周辺の平原を越えてしまった時、水田や畑に着陸できなくなるからだという。「こちらは遊びですから、地元の人たちに迷惑をかけてはね」いやいや、こうした気づかいがあるから、熱気球は大人の趣味たり得ているのではないか。

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§熱気球の魅力あれこれ§

の大人をそれほどのめり込ませる熱気球の魅力は、どこにあるのだろう。
「やっぱり、他の乗り物とは違いますよね」と今井さん。「乗ってみてわかると思うけど、風切り音がしないでしょう。つまり、熱気球は風といっしょに移動しているんです」確かに、飛んだり走ったりする様子を表すとき、私たちが使う擬音(“キイーン”とか“ビューン”とか)は風を切る音を模したものだ。そういう音を発せずに飛べる乗り物は、気球の他にないだろう。

「あと、なかなか思うようにならない、っていうところも魅力ですね。最近は何でも簡単になっているでしょう」という高本夫人の意見に、今井さんが相づちを打つ。「うん、ローテクがいいのかもしれないな。ハイテクは他にいくらでもあるもの」

 でも、今日の競技ではGPSを使ってますよね、と水を向けると、

「ああ、あれは機体の航跡を記録してスコアリングの手間を省くための道具です。現在地が正確にわかっても、競技飛行の助けにはなりませんよ。冒険飛行で砂漠や海の上を飛ぶなら別ですが」今井さんは言下にハイテク依存説を否定する。

ベテランパイロット、高木明美さん。


「でも、もちろん道具は進歩しています。僕らが学生のころ、およそ18年前にはバーナーの性能も低かったし、大学のサークルでは気球を手縫いしていたし(笑)」はあ…手縫い、ですか。「うん、完成するまでに半年くらいかかったかな。サークル活動は、ほとんど縫い物の時間(爆笑)。今ではどんなデザインでも、発注すればちゃんと作ってくれるけど」普通の形ではない気球、例えばトラック型とか家型の気球なども製作可能だそうだ。ちなみに日本の空を飛ぶ気球はほとんどが輸入品で、BSCTでは日本でデザインを決めてイギリスの工房に発注しているという。

 さて最後に、気になる質問を。皆さんコワイ目にあったことはありませんか?墜落とか、やっぱりあるんでしょう。

「いや、大事故になるような墜落はしないですね。風の強い日などは飛びませんから。また気球から空気が漏れても、構造上裂け目は広がらないようになっています。それに気球の耐用時間は厳密に管理されていて、老朽化した気球は廃棄処分しますし」と、高本夫人はおっしゃる。う〜ん、どうやら熱気球は、不時着はしても墜落はしないらしい。
「コワイ経験といえば、競技中に天候が変わって視界がほとんどなくなったことかなあ。あれはかなりコワかった」そう語る中田さんは、しかし少しもコワくなさそうなのだった。

 その中田さんに「実際に飛んでみて、コワかったですか?」と質問をかえされて、はたと気づいた。飛行機好きの私も高い所は得意じゃないけど、確かにコワくなかった、全然。たぶん飛行条件に恵まれたこともあるのだろう。だが、バスケットから上半身を乗り出して真下を眺めても、高所につきものの恐怖感を覚えた記憶がないのだ(同乗したカメラマンの林さんも同じ意見であった)。音や振動がない乗り心地のためだろうか。はじめての熱気球体験に興奮していたためだろうか。

 いや、それはおそらく、気球そのものの存在感のおかげである。頭上を覆う巨大な気球が、大海原を往く大型客船のような安心感を与えてくれるのだ。

 “これはヤミツキになるなあ”子供の頃からの念願だった気球体験がかなった今、私は危険な誘惑を感じているのであった。空を飛ぶことに興味がある人はもちろん、飛行機が嫌いな人、私の感想を疑う人もぜひ体験してみてほしい。日々の繰り返しに慣らされてしまった人生観が、ちょっと変わるかもしれない。

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 最後になりましたが、今回の取材に快くご協力いただいた『バルーンスポーツクラブ東京』の方々にお礼を申し上げます。なお、同クラブは独自のホームページを開設中。入会の問い合わせをはじめ、体験飛行などの希望や質問に応えてくれます。興味のある方は、以下のリンクを利用してアクセスください。

→Ballon Sport Club TOKYO

BSCTクルー。
左から、今井さん、高本さん、林さん、桜井さん。

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マカロニ・アンモナイト編集部