『弦楽器工作入門(前編)』

 文/MIOX
 写真/
MIOX:ウクレレクラフトetc.
    
中山慶太:ハナムラ楽器


--楽器偏愛者の独白(序に代えて)--
 そもそも音楽を生業としているわけでもなければ、演奏の奥義を極めるべく名器を求めさすらう芸術家でもないのだが、無論音楽は大好きだし、楽器を抱え拙い手つきでつま弾く楽しさは知っている。けだしもっと上手であったなら、小学生の頃ピアノの稽古を駄々こねてやめていなかったなら、この情熱はもっと別な形で花開いていただろうか。さりとて今更の指に天才の技が宿るはずもなく、音楽への熱い思いは「聞くことの喜び」とも「奏でることの喜び」ともまた少し違った方向へと進むことになる。
 楽器が好きだ。楽器が愛しくてたまらない。
 楽器とはそもそも演奏されてなんぼのものである。カメラは写真を撮ってまた然り。銃器ならば弾ァぶっ放すことにおいて同様である。然るにプロのカメラマンやガンマンでなくとも、周囲四壁を沢山の「名器」で埋め尽くし、その一つ一つを愛しく手にとり、手触りを楽しみ、緻密な造形に目を酔わせる幸せな人々が数多くいるではないか。かかるひと時において人の関心は「撮影」や「射撃」といった行為を離れて、明らかに「カメラ」「銃」というオブジェクトを指向している。機能、性能(あるいは生産コストとか)を追求した結果の(ときにはそっちのけにしたあげくの果ての)「道具」としての有りように、人は美しさと愛おしさを感じる。まるで美術品の様にしまい込み、時々取り出して眺め、爪弾き、あるいは部屋中に並べて悦に入っているなど「そんなに沢山楽器を持っているなんて、さぞかし弾くのも上手なんでしょう」ってそれは単なる誤解かそれともイヤミか、そんな声もものともせず、贅の限りを尽くした高級品かはたまた観光地の土産物か、個人輸入で取り寄せる珍品かそれとも駅前レコード屋の店先にもぶる下がってるマスプロ品か、そんなことにもこだわらず(まぁこだわりに関しては人それぞれあろうけれども)この音の出る道具に囲まれて幸せいっぱいの人がこの世にはたくさん...ここにも1人...いるのである。
 そういう人は楽器に「呼ばれて」しまう。知らない町に降り立つとまず楽器店を探す。古道具屋に入るとまず楽器があるかどうか見てみる。中古楽器の専門店などは蛸壺のようなものである。たくさんの楽器に埋め尽くされた空間には、何か強力な磁場みたいなものがあるらしい。

Next--> 

 

  

   


--->拡大表示   

 

 

  


--->拡大表示   



Webmaster :
ammo@tokyo.fujifilm.co.jp
Copyright :
マカロニ・アンモナイト編集部