連載小説 
Silver Salt Nocturne
銀塩夜想曲

作=中山慶太

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星雨 #9

 はじめに聞こえたのは、さらさらと砂の流れる音だった。
 ゆっくりと瞼をひらくと黄金色の雲がひとつ、ぽつりと浮かんでいる空が目に入る。僕は身体がひどく冷たく感じた。
「気がついたかね」と、乾いた声が響く。半身を起こして首を曲げると、鳥打ち帽をかぶった老人が腰を下ろしている姿があった。僕は老人と並んで、砂丘の斜面に寝そべっていたのだった。
「僕は……なぜこんなところに」頭を振っても、すぐには記憶が戻ってこない。
「あんたはここのてっぺんから転げ落ちたんじゃろう」と、老人は首を傾けて斜面の上を見上げる。「風が強い日じゃったから、身体があらかた砂に埋まっておった。運が良かったよ、早く気づいて」細い銀縁の眼鏡の奥で微笑むと、老人は僕に、無事で良かったといった。
「どのくらいたつんですか。あなたが僕を、その、掘り出してくださってから」自分の周囲に小さな砂の山ができているのを見て、僕はちいさな声で聞いた。
「小一時間ほどにもなるかな。もう少し早く目が覚めれば、見事な蜃気楼が観られたんじゃが。まあなんにせよ、あんたは運が良かった。こいつは運が悪かったがね」老人はそういって傍らから何かを取り上げ、こちらに差し出した。見れば、それファインダーがひしゃげて外れた銀色のカメラだった。
「あそこに落ちとった」と、老人が指さした先には真っ平らな砂のうねりが続き、その向こうには青い海原のひろがりが見てとれた。
「まあ、直せんことはないじゃろ。その程度なら、わしも経験しとるよ」両手でカメラを受け取った僕に、老人はふたたび微笑みかけ、自分の上着の胸元を開いて見せる。そこには、僕のものとうりふたつの銀色の箱が夕日を反射して光っていた。
「昼過ぎに店に電話したら、娘がいっとった。おなじカメラを持った若いひとが砂丘に向かったとな。ひろい場所じゃて、まさか会えるとは思わんかったが」
 老人の言葉に、切れ切れになった記憶が戻ってくる。僕はもういちど周囲を見わたしたけれど、砂と海のほかになにも目に入らなかった。
「あの建物はどこにいったんだろう」僕のつぶやきを聞きとがめた老人は、節くれだった指先で砂を掻いた。
「あんたが捜してたという建物かね? とおの昔に埋まったよ。この下に」指先に付いた砂を息で吹き飛ばすと、彼は正面の海の方を見つめていった。「さっきは鳥が掘り返そうとしとったがな」
「鳥が……砂を掘り返そうと?」僕は惚けたように相手の言葉を反芻した。
「そう、尻尾をひろげる見事な鳥だった。おおかた誰かが飼ってたやつが逃げたんじゃろ。あんたが埋まった砂をつついておったよ。わしがカメラを向けたとたんに逃げていったが」老人は胸元の箱を一瞥していった。「一枚くらいは撮れてるだろう」

 僕たちはしばらくその場に腰を下ろしたまま、黙って海を眺めていた。そうして頭上の雲の色がひときわ濃くなり、辺りが急速に色を失いはじめたとき、僕は誰に話しかけるともなくつぶやいた。
「不思議ですね。砂に残る模様も海の波も、いつもおんなじ形に見えて、おんなじ形はふたつとない。いま見たものが繰り返されることがない。まるで……」
「そう、まるで蜃気楼みたいなもんだ」老人は僕の言葉を引き継ぐ。「この世界にはいつまでも変わらずに続くものなどなにもない。だがね」老人は銀色の箱に手をかけ、深く息を吐いていった。「だから写真を撮るんじゃないか、あんたも私も」その言葉に、僕は深い皺に縁どられた彼の瞳をまじまじと見つめた。
「さてさて、あんたもあんまり長居をせんほうがいい」老人は身支度をととのえ、かさねて礼を言おうとする僕を押しとどめて去っていった。
 砂に残った足跡をながめていた僕は、そこにちいさな矢印のようなものが続いているのを見つけた。吹き寄せる砂が消そうとしていたその矢印は、たしかに鳥の足跡だった。
 立ち上がって壊れた暗箱を首から下げる。足跡に銀の砂をかき寄せ、僕は海に向かって歩き出した。
(了)

2000年3月掲載



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マカロニ・アンモナイト編集部