MIKAの部屋2 番外編
         

  text:k.nakayama

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 (C) mika ninagawa

 

 

 

 

 

§MIKAの部屋の外側(1)§

 以前この欄にも書いたと思うけど、僕が蜷川実花にはじめて会ったのはこの連載がスタートする1年ほど前のことだ。最近の読者の方はご存知ないと思うけど、この連載の前のpic-jacというコーナーで、僕は彼女に写真の提供を頼んでいたことがあるのだ。これは彼女が撮った写真のイメージで読者からエッセイを寄せてもらおうという、ある意味で他力本願な企画だった。当時はWebのインタラクティブ性を活かした良いアイデアだと思ったのだ。
 今はもう時効だと思うから書いてしまうけど、実際には僕らが期待したほどの反響は得られなかった。企画そのものに無理があったのかもしれない。彼女じしんも今のようにメジャーな存在(そう言っていいと思う)ではなかったから、あるいは読者の注目度も低かったのだろう。
 それで、読者の投稿がない週は僕が匿名で原稿を書き、穴を埋めるはめになった。その原稿『アンモ式デジタル体温計(前・後編)』は僕のひそかなお気に入りなのだけど、今読み返すと当時のことがまるでおとといの出来事のように甦ってくる。青山の喫茶店で彼女とはじめて会った日のこと。今はもうない六本木の『雨の樹』(WAVEの一階にあった喫茶店)での打ち合わせに1時間待たされたこと。あの当時、僕の目から彼女はけっこう異邦人的に映ったものだ。異星人的といってもいいかもしれない。
 そして彼女の写真は、広告畑で育った僕にはなかなか入り込めないものだった。物がモノとしての存在を消したようなその写真からは、僕がよりどころとしていたある種の物質性(物質的な欲求に直結するリアリティ)がまるで感じられなかったからだ。
 そして3年が過ぎ、僕の周囲にはニナミカ的な風景が増殖し、いつの間にか自分でもニナミカ風な撮り方を試してみることが多くなった。それでわかったのは、実は現実の世界のなかで実在感を失っていたのは自分の視線だったのだ、ということである。
 過度に物質的な社会のなかでは人工的なものの方がむしろ暖かく、バーチャルな人格の方がずうっとヒューマンである、というのは我が敬愛するディック(フィリップ・K・ディック)のアイロニカルな世界観である。前述した『アンモ式デジタル体温計』も、そういうディック的世界観を借りて書いたものだけど、だとすると僕はいつの間に画面の向こう側に移動したのだろう。
 蜷川実花の写真を眺めながら、僕はときどきそんなことを考えている。


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