* 週刊フォトエッセイ*

「今日もカメラは回る」

 写真・文/根岸 泉--->Back Number


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Roll 2 マイライフ・アズ・ア・ドッグ

 コマーシャル・フィルムはスポンサーのものだ。

 それはスポンサーの宣伝部と広告代理店の間で全てが決まる。マーケットリサーチがなされ訴求対象だの対費用効果だのという呪文が飛び交ったあげくに唯一無二の企画が決定される。それが製作プロダクションに降り現場に降りてきた時にはもはや神の声と化していて、自由裁量の余地を持つ一部のスター演出家を除いては誰もそれに変更を加えることは出来ない。

 たとえ何かを思いつき演出家に進言しても「それは良いアイデアだと思うけど僕にはそれを採用する権限は無いんだよね」ということになる。
 それは現場監督が設計書どうりに橋なりビルなりを作ることしか期待されていないのと同じだ、ましてや一介のスタッフに出来ることはなにもない。すべきことは求められた効果を期待どおりに提供することだけだ。それがプロフェッショナルとしての達成感を呼ぶことは確かだが当事者意識などは持ちようがない。

 ところが映画は違う。

 映画は多く監督のものだが、監督といえど1作品に何百とあるカットの全てを完全にイメージしコントロールすることなど出来ない。アクシデントはあるしやってみないとわからないことも数多くあるのだ。
 そのためあるカットが1スタッフ(たとえば装飾助手の山田くん)の頭の冴え、腕の冴えのおかげで思いがけず良い効果を上げるということがあり得る。その功績が多くのスタッフの認めるものであった場合、それは「山ちゃんカット」などと呼ばれる。そのカットはそいつのものだ。

 いや、というか、そもそも誰かに認められる必要などないのかもしれない。「あのカットは俺の力によってあきらかに良いものになっている、それは確実にこの作品を面白くする役に立っている筈だ」と確信出来るなら、そのカットは俺のものだ。

 そうやって映画は少しづつ俺のものになっていく。





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