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この写真は本文とは関係ありません、たぶん。
『ガメラ2−レギオン襲来−』
(C)大映・日本テレビ・博報堂・富士通・日販/1996
より



* 週刊フォトエッセイ*

「今日もカメラは回る」

 写真・文/根岸 泉--->Back Number


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Roll 5 モニター

 むかし昔カメラは神聖なものであった(らしい)。駆けだしのスタッフがファインダーを覗いたりすると「10年早い」とか言われてパン棒でひっぱたかれたと言う(←伝聞)。
 しかし10年ほどまえからカメラにモニターというものが付くようになった。カメラマンが見ている映像をハーフミラーで分岐しCCDカメラで撮影して外部のTVモニターに映しだすのだ。当初はカメラマンの神秘性(?)が失われると嫌う向きもあったようだが流れは止められない。始めは白黒でなにが映っているのかやっと判別できるほどの画質であったものが今はTV放送と遜色ない絵が見られる。

 風景の中に役者が立っているというような一般作はまだしも特撮映画では「どこまで、飾ればいいのか」「どこまで照明する必要があるのか」あるいは「どこまで近寄ったら仕掛けがバレるのか」を知りたい美術、照明、操演部などがいっせいに画面を確認出来るのでモニターはとても便利だ。

 ところが弊害が出てきた。監督が現場を見なくなったのだ。準備中も本番中もずーっとTVモニターを見ている。そして現場を見ずに指示を出す。まるでTV局だ(TVではディレクターはスタジオでなく副調整室という別場所にいる)。しかし何事にもおおざっぱなTVの収録と違い、特撮の場合は針の穴を通すようなセッティングになるカットも多い。そこへ画面を見ただけの思いつきで指示を出されると現場は混乱する(こともある)。

 また芝居に対する注文でも現場を見ていなければ役者への的確な指示が出せない場合もある。フレーム内でうまくいかなかった事の原因はフレーム外にあることもあるのだ。ディレクターズチェアーに座って役者に注文をつけていればいい一般作と訳が違う。特撮監督は特殊美術、特殊効果、照明などの技術パートを含めた総合的な統率者でなければならないのだ。

 そもそもモニター映像はビデオに撮ってあって必要なら後で何回でも見られるんだから本番中は肉眼で見てろと私は言いたい。

 またこのため本番の一期一会という気合いがなくなっている。昔はとにかく本番その時が全てであるから監督はカメラの横に立って食い入るように芝居を見ていた。そしてカットをかけると同時にOK(かNG)を宣言する(小中和哉氏−小中千昭氏の弟−はこのタイプだ)。
 今は本番が終わった後何十人というスタッフ、キャストをちゅうぶらりんにしたまま監督一人がビデオを見ているという仕儀になる。

 終わってすぐの「カット、良かった、OK!」という声がどれだけ現場の志気を高めるか、またコマ送りで重箱の隅をつつくようにして悪いところをさがしだす行為がどれだけ志気を殺ぐかもっと考えてもいいと思う。

 ましてや「ビデオが回っていなかったのでもう一回」などと言うのは論外である、我々はその一瞬のために心血を注いでいる、修練の技を発揮して2度とは出来ない絶妙のタイミングで難しいカットを成功させたと思っているときに「ビデオが回っていなかったのでもう一度」などと言われたら殺意を抱く。

 そこの監督、身に覚えがあるならそれはもちろんあんたのことだよ?





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