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* 週刊フォトエッセイ*

「今日もカメラは回る」

 写真・文/根岸 泉--->Back Number



 


Roll 8 「俺は寝ないでいいよ」とその男は言った

 ある人が持っている物の考え方や知識、信念、態度などを心理学用語で「認知的要素」と呼び、一人の中に相いれない二つの認知的要素が生じて起こる緊張状態を「認知的不協和」と呼ぶ。「認知的不協和」は不快なもので人はこれを低減するよう動機づけされる。
 たとえばタバコが好きという「態度」を持つ喫煙者がタバコを吸い続けるとガンになるという「知識」を得ると「認知的不協和」が生ずる。この解消には通常3つの手段がある。
 1・認知要素の一つを変える(この場合は喫煙を止める)
 2・要素を新たに付け加える(タバコを吸うことによる利点を数えあげる)
 3・認知要素の重要性を低減させる(タバコを吸ったからといってガンになると決まったものではないと思いこむ)

 「2001年宇宙の旅」で人工知能「HAL9000」がなぜ反乱を起こしたのかは公開当時からの謎だったが「認知的不協和」によって理解できる。HALは「乗組員の安全を第一に考え、その指令に従え」という表向きの任務と「木星付近に存在すると思われる地球外知的生命の調査を最優先せよ」という秘密の任務を与えられたため「認知的不協和」を生じその解消のために前者を放棄したと考えられるわけだ。

 さてこの理論を応用すると「人につまらない作業をやらせておきながら、強制的に面白かったと言わせるとその人はそれを面白いと思うようになる」という仮説が導き出される。これは「強制的承諾による態度変化」(Festinger,L & Carlsmoth.J.M Journal of Abnormal and Social Psychology,58)という実験で証明された。

 実験は被験者に単調で意味のない作業を行わせ、さらにそれを「面白くて楽しい作業であった」と言わせるというものである。まあウソを言わせるわけだがこの被験者には謝礼が1ドルのグループと20ドルのグループが存在した。そして謝礼を払った後この作業をどう思うか、もういちど参加したいと思うかを問うと、低報酬のグループのほうはこの作業を面白いと(本気で)感じるようになっており、同様の実験があったらまた参加したいと希望したというのである。

 実はこれはつまらない作業に対して面白いと言わせることにより「認知的不協和」を起こさせているのである。高報酬グループは「ウソを言うかわりに20ドルを得た」と自分を納得させることでそれを解消出来る(解消法の2)のだが低報酬グループはそれが出来ない。といって作業をしたことも面白いと言ったことも取り消せない以上、認知要素を変え(解消法の1)面白いと言ったのはウソではないという方向で解決したと考えられるのだ。

 この理論を敷延すると「報酬なしでイヤなことをさせることによりそれを好きにさせることができる」というマインドコントロール理論に行き着く。人は自分が無意味で馬鹿げた行動をとる人間であるとは思いたくない。従ってやってしまった以上はそれが意味のあるものであったと思いたがるのである。新興宗教や運動部/企業等の新人研修で理不尽な通過儀礼を強要するのはこのためだ。





1997年3月 富士山麓

 ロケはろくに寝かせてももらえぬまま連日続いていた。最終日早朝から始まった撮影は深夜になっても終わらず、森の中には冷たい雨まで降り始めた。スタッフは体の芯まで冷え切っているが地面がぬかるんでいるため座って休息する場所すらない。
 残りカット数は絶望的なまでに多く、今日は寝かせてもらえそうになかった。朝になれば現場を撤収しそのまま東京に帰らねばならない。道が狭いため機材トラックが遙か彼方に止まっている。照明部のバラシは特に悲惨を極めることが予想された。

 この状況に声をあげるとするならば照明部以上に適任なパートはない。撮影環境の改善を申し入れようと考えていた私は当然のように共闘を呼びかけた。しかし映画マニアである照明チーフI君の答えは「俺が寝ないで映画が良くなるのなら俺は寝ないでいいよ」というものだった。





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