Boys' Days 第1回
縁あって、オリンピック
−元ハンドボール選手 関健三−

若かりしあの日、一つのことに熱中した男の、過去、そして現在
                        -その2-

 文/河野朝子  写真提供/関健三

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「ハンドボールを始めたのは高校に入ったときからですね」茨城県立笠間高校は当時からハンドボールの強豪として全国的に名を轟かせていて「ウチからも近いし、学力も笠間に入れるくらいだったし(笑)。私は中学はずっと陸上をやっていて、高校に入ったら絶対チーム競技をやりたい、と思ってはいたけれど、サッカーなんかだと中学からやってるのもいて(レギュラー争いなどで)不利だから、ハンドボールをやる、って決めて笠間に入りました」そう伺うと、職業スポーツ選手にはよくある話しだが、子供の頃から抜群に運動神経がよく、将来なにがしかのスポーツで身を立てよう、と決意していた、とも思えてくる。「いやいやいや」関さんは大きく首を横に振った。「そんなこと思ったこともない。ただ、当時にしては中学3年で180センチ近く、と身長があったんで、ただそれだけですよ」やはりハンドボールの世界も身長が物を言う世界なのだが、それにしても、である。
 それやこれやで始めたハンドボールだが、関さんは高校3年の時には関東大会で2位にまで登り詰め、国体の選手にも選抜されている。始めて3年でそこまで行くなんてすごいですよねぇ、とこちらが驚くと「笠間高校の監督と昔同級生だった別の高校(中大付属)の監督が互いの生徒を集めて一緒に合宿をやるのが恒例で、そのとき向こうの高校にいた蒲生と出会ったのは大きかったなぁ」と答えた。蒲生さんと言えば、80年代の全日本のエース、元全日本監督、現『大同特殊鋼』、ワールドカップのテレビ解説でお馴染みの方である。高校1年の時から合同合宿でちょくちょく顔を合わせていた中大付属校の蒲生さんと、時にはライバル、時にはチームメイト、の文字どおり「切磋琢磨」のつきあいが始まった。

 

 その後、関さんは蒲生さん達と一緒に中央大学に進み、朝から晩までハンド漬けの毎日が始まる。専攻は文学部史学科、だが、要するに『体育会』の日々だったそうだ。その頃はちょうど学生運動末期で試験も授業もろくに行われなかった、というゲゲゲの鬼太郎みたいな話を当時中央大学の学生だった人から聞いたことがあるが、大学遊園地化のハシリの頃、最も"学生"らしかったのは実は運動部の選手達だったのだろう。
 ハンドボール、というと体育館の中で駆け回るイメージがあるが、中央大学はグラウンドで練習していた。転んだりすると小石や砂がものすごく痛そうなのだが「かえって体育館より痛くないんです。砂浜をもう少し固めた物だと思ってください」なんだそうだ。
 中央大学は、関さんが1、2年生の時にはインカレ(インターカレッジ)で2位、3、4年の時にはどの大会でも負けなし、つまり全勝だった、と言う。確かに、高校の時からの有力選手でレギュラーを固めているとはいえ、2年連続全勝とはスゴイ。

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