PIC-JAC 第2回
「アンモ式デジタル体温計」(前編)

 テーマ写真/ 蜷川実花  文/ 庵茂秀明(あんも・しゅうめい)

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ステムを起動すると、彼女はいつものように素早く画面上にやって来た。
「サーモスティックを脇の下にさしてください」と、例によって事務的な口調だ。
「ねえ、そんなことよりも、すこしお喋りしないか。時間はあるんだろ」僕は画面に向かって話しかける。これもいつもの無駄口、ただの無意味な独り言だ。
「サーモスティックを脇の下にさしてください」と、彼女は繰り返す。このソフト、このままこちらが行動に出なければ、いつまでも同じセリフを喋り続けるんだろうか。
「やなこった」その日は逆らってみたい気分だった。「君の命令は聞き飽きた。こっちは勝手にやるから、そこで一生同じことを言ってろよ。もっとも仮想人格の君は、僕より長生きなんだろうけど」
 僕はキーボードから両手を離し、椅子の背もたれに深々と上体を預けて伸びをした。時間が余っているのは他ならぬ自分だ。それを自覚しつつ、大きなあくびをした時、突然彼女が表情を変えた。
「しょうがないわね。わかったから、とにかくサーモスティックを使って頂戴。で、話って何よ」
 うへえ、大変だ。僕はあわててパソコンの脇の蛍光オレンジの棒をまさぐり、Tシャツの袖口から脇の下に突っ込む。金属のひんやりとした感触が肌に痛い。
「話って何、手短かに聞かせて。あなたが言い出したんだから」彼女の口調はちょっと早口になった。心なしか、不機嫌になってきたみたいだ。
「これも……これもプログラムの一部なのかい? 確かマニュアルには書いてなかったけど」
「あら、今どき誰もプリントメディアなんて読まないでしょ。1298ページの下から2行目に小さく書いてあるわ。システムの誤操作を防止するためのプログラムが走っています、って。子供が間違ってサーモスティックを口に入れちゃったり、高齢者ユーザが操作手順がわからない時に切り替わるのよ。断っておきますけど、あなたみたいな人の退屈しのぎのプログラムじゃありませんから。で、話って何よ」
「いや、何でいつも寂しそうな顔をしてるのかな、と思って。君は……その、つまり、独りで仕事をしているんだろう」自分はいかにも馬鹿馬鹿しい質問をしている、と思いながら、僕は何となく心の隅で感じていたことを口に出してみた。
 その時、画面上の彼女の右隣に強烈な赤の幾何学模様が現れた。よく見ると、しおれた薔薇が一輪添えられている。
「体温、血圧は正常です。CHOL(コレステロール値)が減少していますね。それにHt(ヘクトマトリット値)とMCHC(平均赤血球ヘモグロビン濃度)がわずかに高くなっています」
 彼女がいつもの事務的な分析口調に戻ったので、僕はあわてて話しかけた。
「ちょっと待って、まだ話があるんだ」 


... To be continued.  

 


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