マダム・キヨコの近代処世術 第2回
「イタリア式恋愛術を学ぶ」 -8-

文/印南紀世子メニヤン  写真/Eric Meignien

* 週刊フォトエッセイ*   


 


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「きれいだね、魅力的だね」と、マストロヤンニは向かい合った女たちに、そう話しかけているような印象を与えた。やはり先ごろ他界した巨匠、フェデリコ・フェリーニの『インテルビスタ Intervista』(1988)のなかで、奇術師に扮装し た彼が杖をふると、あの『甘い生活 la Dolce Vita』 (1959)の圧倒的なアニタ ・エグバーグが画面を覆って消えた。消えた彼女に代わって現在のエグバーグが現れると、観客の目はその彼女を巨大な白鯨のようにふくれあがった中年女と見ることをやめていた。一度美しかった女性は、人生の最後まで敬意を払われるにふさわしいと、マストロヤンニの杖が観客の目を変えたのだ。

 演じることは、楽しむことだ。「演じる」という言葉を、イタリア語では「朗唱する」というが、フランス人は「遊ぶ」という。この方がずっとすてきだ。子供たちが『警官と泥棒ごっこ』をする。僕が警官で、君が泥棒だ。いつも変わらない子供たちの遊び。いくら繰り返しても飽きることがない。演じることは、遊ぶことなのだ。晩年のインタヴューでそう語り、彼は逝った。

1997年9月掲載


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「イタリア式恋愛術を学ぶ」

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マカロニ・アンモナイト編集部