勝見洋一の贅沢三昧 第6回
「古きカメラが切り取りし」  -その1-

 文・写真/勝見洋一

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は東京生まれの新橋育ちである。
 だから歩いて五分の銀座などは庭のようなものでぇ、などと自慢してもはじまらないが、銀座は隣町。
 その隣町との境界は川だった。
 そうなのだ、新橋の住人にとって銀座に行くことは橋を越えるということだった。これは新橋の住人には限らない。オリンピック東京大会に向けて東京が大改造されるたった三十四、五年前まで、銀座は川と堀に囲まれた長四角のマンハッタンに似た地域だった。もともと江戸はベニスに次ぐ水の大都会だったのだが、次第に都市が充実して形成されるうちにたくさんの川や堀が埋め立てられた。それでも私が子供のころまでは「いくつも橋がある街」に住んでいるという自覚があった。
 浜松町からの国道は「新橋」を渡って銀座通りに入り、「京橋」に抜ける。晴海通りは西の有楽町の「数寄屋橋」を渡って築地の「万年橋」へという具合だ。明治時代はその中間に三原橋があった。なにしろ銀座というところは今でも「橋」がつく地名が多い。


... To be continued.  

 


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