●Night Shift 連載第2回
「Persona」

文・写真/小中千昭

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ラマは、俳優が役を“演じる”事で物語が具現化する。
 どんなドラマや映画だって、「あの俳優の芝居、下手だよねー」とか、「凄い演技力だ」といった感想はごく普通に抱かれる。
 シナリオと監督の演出に沿って“演じ”られた虚構の中の存在でしかない、とみんなは思ってその作品に接している。
 でも、そのドラマに入り込むと、演技の巧劣はおろか、演技自体の存在すらも忘れて、このドラマ内の人物はマジにそう考えている、とか、ホントに怒っている、といったふうに見えてくる。
 この瞬間、そのドラマや映画はドキュメンタルな性質を持ったものへと変容している。リアリティ、とは違うものだと思う。

 私の脚本デビュウ作は、『邪願霊』という超低予算のビデオ・シネマだった。予算が無いことを逆手にとって、45分まるまる、架空のテレビ・ドキュメンタリという体裁をとった。撮影自体が通常よりもお手軽に出来るからだ。
 ドキュメンタリという枠組みが、安っぽいビデオ画面であっても、そこに写る虚構の怪異を“本当にあるっぽい”というフィルタにかける事で、迫真の恐怖を得られる。
 ビデオを借りた人は、俳優が演じた嘘っぱちだと百も承知で見始めるのだけれど、ドキュメントという“スタイル”がそれをだんだんと忘れさせられると思った。
 ドラマの中でのドキュメント性というものを、私は以来常に意識・無意識に作品に反映させてきた様な気がする。


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