新・東京恋愛事情
「boyの写真-2」  -8-

 文/中山慶太 写真提供・取材協力/boy

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 


--->拡大表示

 

 

 


--->拡大表示

て、今回の連載の最後に、彼らの創作活動の一部になっている写真について触れておこう。
 この写真は、『boy』のスタッフたちが数年間をかけて撮り溜めたものだ。以前から彼らの個性的な表現が気になっていた筆者は、スタッフに頼み込んでその一部を本誌の創刊号に掲載させてもらった(
バックナンバー『boyの写真』参照 )。業界筋からも彼らの制作活動は注目を集めていたらしく、昨年末、ついにオリジナル写真集が上梓される運びになったのである。
 その写真の一部は、本連載中で紹介した(5・6・7回を除く)から、それぞれの作品に対する解説の愚は避けることにする。だから、ここで本心を吐露しておこう。代官山のお店でこうした一連の作品に触れ、写真集の頁を繰るたびに、筆者はいつも苦痛を感じる。それは、自分とは異なる視線、届かぬ感性、引き戻せぬ時間軸を持つ者に対する畏怖である。それぞれの表現は決してオリジナルではない(だが、真にオリジナルなものがどこにあるだろう?)し、時に荒々しく、そして技巧がとりたてて優れているわけではない。にもかかわらず、彼らの写真が持つ波動は多くの魂に共鳴する。写真集に納められた作品には写真家のハービー山口氏の手になるものも含まれていて、こちらは確かに完成度が高く、しかし印画紙に定着した世界は明らかに異質である。その違いをひとことで言えば、本能的に被写体との距離を置く山口氏に対し、『boy』の視線は被写体の肉体に直接触れている。これを職業意識の違い、と読み取るのは短絡に過ぎるだろうか?
 カメラに開けられた小窓を覗けば、私たちはいつでも現実の好きな場所に穴を開けることができる。そうやって四角いフレームの内側に世界をつくることに慣れてしまうと、この目に見えるものにしかピントが合わせられなくなる。写真(という行為)に予定調和を感じはじめた方は、ぜひこの写真集を手に取って見て欲しい。ファインダーを通した視線が、ほんのちょっと自由になると思います。

 連載の最後に、長い文章におつき合いくださった読者の方々、そして今回の企画に快くご協力いただいた『boy』の皆さんに謝辞を贈らせていただきます。


      <---Back   ... Go to next.  

 


Webmaster :
ammo@tokyo.fujifilm.co.jp
Copyright :
マカロニ・アンモナイト編集部