ペルシャでチャランポラン
 −イラン四千年ダイジェスト−  -1-

文・写真/河野朝子

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 シェイク・ロトフォラー・モスクの
       イワーン(イスファハン)

 

て前回のイギリス編に続いてまたフレディ・マーキュリーの話から始めさせてほしい。
 彼がデビュー当時から「母はペルシャ人」と言い続けてくれたおかげで、歴史や地理に疎い中学生の私の脳にさえ、見事に『ペルシャ』という言葉が刷り込まれ、地中海のどん詰まりあたりから、ペルシャ湾と呼ばれている件の湾あたりまでが、私のアタマの中でフレディの領地とされてしまったのがまずひとつ。
 同じ頃祖父が仕事でイランに行ったことがある。そのときにいただいてきた分厚い写真集を我が家でもらったのだが、唐草模様のタイルのモザイクがびっしりと並ぶモスクのドームの写真を何度も何度も繰り返して眺めては、なんとも言えぬエクスタシーを感じたのがふたつめ。
 フレディの『ペルシャ』と写真集の『イラン』がアタマの中で合体するのはもう少々大人になってからなのだが、とにかく私はずっとペルシャとイランになにがしかの想いを抱いてきたのだ。

 そんなイランに行くんだよね、と人に告げてまず言われたのが「危なくない?」「大丈夫?」だった。出発が近づいた頃、サッカーのワールドカップの予選で日本チームがイランを下してフランス行きを決めたり、隣のイラクが核査察でごねたり、エジプトのルクソールで観光客を狙った無差別テロが発生すると、みんなの心配の声は一段とトーンアップされてたのである。

 正直言ってサッカーの方は心配がなかったわけではない。しかし、テロに関しては、日本の地下鉄で無差別テロがあったからって「やっぱりアジアの仏教国は怖いからタイも危ないでしょう?」ってのと同じくらいエジプトとイランを結びつけるのには無理がある。イラクについても、だからといってイランに直接関わる材料はあまりないはずだ。

 ついでに、イランてアラブでしょう?なんて聞かれたりもした。日本て中華圏?と言うくらいの誤認である。イランはペルシャだ。さまざまな血が流れ込んできているとはいえ、インド・ヨーロッパ語族のアーリア人文化圏なのだ。


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