連載小説 
Silver Salt Nocturne
銀塩夜想曲

作=中山慶太

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 


--->拡大表示


--->拡大表示


美紀 #1

  「はじめて写真を撮られたときのこと、覚えてる?」
フィルムを詰めながら投げかけた僕の月並みな質問に美紀は表情を変えず、ちょっと間を置いてこたえた。うん、よく覚えてる。まだ学校にあがるまえに家の庭で父親に撮られたのが最初だった。
「泣いたのよ、私」
「ふうん、カメラが怖かったんだ」僕の前では涙など見せたこともない美紀がレンズに睨まれて怯えている様子を想像すると、ちょっと可笑しい。
「ううん。母がね、新しい、赤い洋服を着せてくれたの。それが嫌で」
 きっと僕の口もとが緩んだのを見逃さなかったのだろう、美紀はすこし怒ったような口調で言葉を返すと、スカートの後ろに手をまわして裾をたぐり、ちいさな膝をかかえる。彼女が腰かけているのは旧い屋敷の庭に面したテラスで、玉砂利を埋めた日陰のコンクリートは陽の高い季節にもひやりと冷たそうだ。広い庭には蝉の声が響き、その音は樹々のざわめきとともに雲のすき間に吸い込まれていく。そんな夏の日の午後、僕と彼女は高台の住宅地に迷い込んだのだった。
「いまでもあるのかな、その写真」封を切ったブローニーフィルムの先端をスプールに差し入れ、僕はつぶやく。
「どこか探せば出てくると思うけど」
 そういって言葉を宙に浮かせたのは、出てくるかもしれないけれど探したくないという意思表示だ。美紀がこういう話し方をするとき、それ以上の深追いは避けた方がいい。それは彼女との短いつきあいのなかで僕が学んだ教訓だった。
 ふたりが見つけたこの屋敷はもう永いこと空き家の様子で、それでも持ち主が手入れを欠かさないのだろう、無断で入り込んだ敷地のすみずみにはひとの暮らしとはべつの次元に存在する、まるで博物館のような空気が漂っている。
 カメラの裏蓋を閉じ、真上からピント板を覗く。レンズの焦点から逃れた彼女の姿は磨りガラスに滲んだインクのように美しく、どこか陽炎のようにゆらめいて見えた。
(以下次号)

1999年8月掲載



<--Back   ... To be continued.

●PDF版「銀塩夜想曲」
縦書きレイアウトでお楽しみください

PDF版「銀塩夜想曲」をお楽しみいただくにはAdobeAcrobatReaderが必要となります



Copyright :
マカロニ・アンモナイト編集部