マカロニアンモナイト
webマガジン「マカロニ・アンモナイト」月刊特集
和−Time Rhythm
〜和時計の暮らし〜 前編
文・写真/しばやまみゆき  Flash時計/Rey.Hori
前編目次 1 2 3 4 5 2002年11月掲載


§自然の時計§



 お天道様に合わせた暮らしでは、15分やそこらの差は気にならない。目の合う距離の集団生活には、空の様子と体内時計で十分だ。もう少し広くなっても、お寺の鐘が聞こえる範囲で同じ時刻を認識できれば十分だった。時を知らせるお寺の鐘が向こうの村と数十分ずれていたってなんら問題は生じない。

 それにしてもお寺はどうやって時刻を計っていたのだろう? 特定の時間を計るにはどうしていたのだろう?

用途に応じて自然の時計がちゃんとあった。

【1−日時計】

 時を計るものを全て時計とするならば、まず分かりやすいのは日時計だ。太陽による棒の影の長さや方向で時が知れる。庭園などに備え付けられたものだけでなく、江戸時代にはいろいろな携帯用日時計が用いられた。その土地の緯度に合わせて正確な時刻が分かるよう工夫されたものまでできた。
 ただ唯一のおおきな問題は太陽無しには役立たないってことだ。



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日時計の文字盤。直径30センチくらいある。
(セイコー時計資料館所蔵)




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携帯用日時計の数々。長辺で5センチくらいととても小型。アウトドア用に欲しい...。
(セイコー時計資料館所蔵)

【2−水時計】

 一定の変化をするものなら時を計ることができる。水の落ち方によって時間を計るのが水時計で、古くは『漏刻(ろうこく)』と呼ばれ、日本書記にも記述がある。蒸発や凍結などの難点もあるが、夜でも時間が計れるのが最大の魅力。
 奈良時代になると自然科学や自然哲学を担当する陰陽寮に、陰陽師、天文博士、暦博士などとともに『漏刻(ろうこく)博士』が配属され、水時計のメンテナンスと時の計測を担当し、時刻を伝えていた。


【3−その他の自然な時計】

 あまり長くない一定の時間を計るには、いろいろなものが使われた。砂の落ち方ではかる『砂時計』、燃えて短くなるロウソクの長さで計る『ろうそく時計』、線香で計ったのが『線香時計』で、これは花街などで用いられた。芸者と遊ぶ料金を線香代というのはこの名残だ。
 他に寺社では絶やさず焚く抹香を定規を用いてまき一定のところに時刻札を立てて時を計る『時香盤(香時計)』が用いられた。

 これらの機械によらない時計は、用途によって使い分けられた。機械の時計などなくとも十分事足りていたのである。それでも海を越えて機械の時計はやってきたのだった。



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香盤時計
(大名時計博物館所蔵)



§機械の時計§

 日本に初めて機械で動く時計が伝来したのはいつなのか。1543年に種子島に漂流したポルトガル人が鉄砲とともに携帯していたものかもしれないし、1549年スペインの宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸した時に持参していた時計かもしれない。その2年後に周防国(山口県)の大内義隆に献上したもののリストに『自鳴鐘(じめいしょう)』があり、これが文献に残る最古の機械時計といわれている。
 戦乱の室町時代のことだから最新鋭の武器である鉄砲は尊ばれ、1年もしないうちに国産化されたというが、時計はまだ無用品だったのかもしれない。戦国期のことだから残っていないだけかもしれないけれど...。

 現存する最古の機械時計は、江戸時代に入って8年後の1611年に当時スペイン領であったメキシコの総督から徳川家康に献上されたランタン時計と呼ばれるゼンマイ駆動の旅行用時計だ。これは1581年スペイン製だから、ザビエルが献上した時計も似ていたかもしれない。

 ともかくこうして機械の時計は日本にも伝わった。『自鳴鐘(じめいしょう)』という名前からしてアラーム機能付きだったにちがいない。南蛮渡来のハイテク技術にさぞ驚いただろうけれど、不定時法という日本の時間には役に立たない無用の長物だったのだ。
 しかしこのハイテクおもちゃは改造されて、世界中で後にも先にも日本にしか存在しない不定時法の時計=『和時計』へと大胆に変貌を遂げるのだ。

 自然の条件に左右されることなく、一定して時を刻む機械の時計を、お天道様に合わせちゃおうっていうのだから、まぁーすごい!

 ...というわけで、後編へ続く。


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枕時計
(セイコー時計資料館所蔵)


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