マカロニアンモナイト
月刊特集 写す人 第二回
写真用レンズをつくる人たち
  
富士写真光機を訪ねて −前編−
文/中山慶太  取材協力・写真提供:富士写真光機株式会社
前編目次 1 2 3 4 5 2003年1月掲載


§写真レンズの巡礼§


 レンズ設計は学問である。

 光という、実体のつかめないもの*を束ねたり広げたりすることで、さまざまな現象を導き出す。基本的な原理はわりあいとシンプルだけど、何枚ものレンズを使って望んだ結果を引き出すためには、気の遠くなるような計算が必要だ。計算だけなら機械でできるけれど、コンセプトに合わせた条件を設定し、結果を評価するためには膨大な知識が必要なのだ。

 レンズ設計は芸術である。

 ある結果を得るための答えはひとつではない。命題に対して、解答はそれこそ無限にある。無限の解答のなかから、設計者は目標値を満たし、さらに別の価値を追い求め続ける。写真用レンズの世界では、それは設計のオリジナリティであったり、言葉に置き換えられない“描写の味”であったりする。だから設計者はたんなる技術者ではいられない。レンズ設計は感性の技でもある。

 レンズ設計は職人技である。

 コンピュータ支援技術が設計や製造の現場でどれだけ活用されても、レンズの性能が数式だけで表現できるわけではない。だからベテランの設計者は、光学の理論を超えた人間の技を持っている。機械が出さない答え、出せない技をどこに入れれば良いかを知っている。そういう経験が活かされるレンズ設計は、やはり職人の世界なのだ。

 クラシックカメラから最新のAF機まで、さまざまなカメラで撮影する機会が増えるにつれ、僕はレンズの奥深さに魅せられてきた。似たようなスペックのレンズでも、撮影条件によっては驚くほど違う結果が現れることは写真愛好家なら誰でも知っていることだが、その理由を説明できるひとはそれほど多くない。

 なぜ違いが出るのか、それはレンズ設計がきわめて多くのパラメーターを持つためだ。素材の選択から設計、そして製造工程のすべてにおいて、その選択肢は無限に近いほどあって、どこをいじっても結果に違いが出る。だからレンズ設計とは、学問と芸術と職人技の集合体なのだと思う。

 レンズの不思議な魅力に取り憑かれた人なら、その設計と製造の現場を観たいと思うに違いない。レンズづくりの現場は、写真を愛好する者にとって聖地に等しい存在なのだから。僕もこれまでに何度か取材の希望を出していたのだけど、今回その希望がついに叶って、レンズ設計者へのインタビューができることになった。巡礼の地は埼玉県さいたま市の富士写真光機(株)。我が国の写真用レンズ製造でもっとも長い歴史を持つ会社のひとつ**である。

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プレス成形が施されたレンズエレメントがお椀状の冶具に固定されている。本来は透明な光学ガラスが黒く見えるのはアスファルトピッチで接着されているため。富士写真光機の本社工場では主として少量生産の特殊なレンズを製造しており、このエレメントも通常より強い曲率を持っているように見える。
(撮影:中山慶太)






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冶具に固定されたエレメントはずらりと並んだカーブジェネレータにかけられる。手前のお椀状の物体がエレメントの上に被せられる研磨皿。回転しながら球面を撫でる動作はちょっと不思議な三次元運動で、まるで妊婦のお腹をさすっているようにも見える。回転速度は思いのほか緩やか、騒音も小さい。
(撮影:中山慶太)

*注1)光は物理的には電磁波と定義されるが、一般には人間の眼に感じる可視光線を指すことが多い(赤外線や紫外線は人間の眼で感知できない)。普段僕らが目で観ている事物は、すべてこの可視光線が物体に反射して眼球に届いたものである。

**注2)日本における写真用レンズの設計製造は第二次大戦の軍需によって喚起された。この当時よりカメラ・レンズ等の光学製品を手がける企業としては他に日本光学(現ニコン)、東京光学(後に『トプコン』ブランドのカメラを発売)、六櫻社(現コニカ)等がある。富士フイルムでは1940年に小田原工場で光学ガラスからの一貫生産でレンズ製造を開始、1944年にはカメラおよびレンズ製造を主業務とする富士写真光機株式会社を設立している。


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