マカロニアンモナイト 写真
ニッポン列島・鍋日和
〜アンモ流 おいしい鍋の囲みかた〜《後編》
文/本小まゆみ 写真/マカロニ・アンモナイト編集部
後編目次 5 6 7 8
2004年2月掲載


【6】鍋は下品な食べ物!?

 料理としての“鍋”はいつ頃から食べられていたのか?

 いまをさかのぼること南北朝時代、「南朝の後村上天皇*が狸汁(たぬきじる)を賞味した」という記述が『太平記』**に残されている。
 具体的な材料や調理法などは定かではないのだが、それ以前より、狩猟や漁撈で捕らえた動物の肉や魚などを“汁”に仕立てた料理が数多くあったことは間違いない。
 その後、江戸時代初期に刊行された『料理物語』*3には、狸汁のほか、ふくと汁(ふぐ汁)や兎汁などについての記述も見られる。当時の狸汁は、大根・ごぼうが入った味噌仕立てのもので、ふくと汁も味噌仕立ての汁物であったらしい。

 調理法をみると、やはり“汁”の域を出ていないようにも思えるが、これらの汁料理が現代の“鍋”の起源と考えられている。

拡大表示-->
鍋はやっぱり大勢で楽しく食べなきゃ! だよね。

 しかし“鍋”の起源とはいっても、これらの汁料理には、現在の“鍋”との大きな違いがある。
 当時は「ひとつの鍋を皆で囲み、直箸も気にせず食べる」という“鍋”の醍醐味ともいえる行為自体が食事のマナーとして最低でありタブーとされており、「下品きわまりないもの」として蔑まされていたのだ。

 室町時代にはすでに銘々膳*4による食事が確立され、囲炉裏や竈(かまど)*5で作られた料理は汁物に限らず、料理番(といったかどうかわからないが飯炊き女や給仕係など)が一人分ずつ小椀によそって配膳されたものを食べるのが一般的。それは地位や身分に関わらず、上流階級から下々の人々にまで浸透していた。
 そのような状況で現代のような食べ方をしたら、周りから白い目で見られること間違いない。

拡大表示-->
拡大表示-->
そういえばテレビの時代劇とかで、こういう食べ方って見たことないかも。
 ひとつの鍋を皆で囲み、直箸も気にせず食べることは鍋の醍醐味のひとつ。銘々膳ではせっかくの鍋の美味しさも半減してしまう。

 では現代のスタイルにより近い“鍋”はいつになったら現れるのか。

 それは江戸時代の半ばのことであった。


注1:後村上天皇(1328〜1368年)=後醍醐天皇の皇子。第97代(南朝第二代)の天皇。

注2:太平記=南北朝時代の内乱についての軍記物語。

注3:『料理物語』は寛永20年(1643年)に刊行された。

注4:銘々膳(めいめいぜん)=完成された料理が一人分ずつ膳に載せられ供される形式。室町時代にはすでにこの銘々膳が確立され、地位や身分に関わらず広く一般に浸透していた。

注5:煮炊きだけではなく暖もとれる囲炉裏は主に東日本で、中国から入ってきた竈(かまど)は西日本で広まったと言われている。
拡大表示-->
室町時代に生まれていたら、みんなで食べる鍋のおいしさは味わえなかった!?
<--Back    Next-->



表紙へ特集目次へ投稿窓口へ

Webmaster :
ammo@tokyo.fujifilm.co.jp
Copyright :
マカロニ・アンモナイト編集部