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化粧師の世界(前編)

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文・写真/中山慶太  取材協力:坂東流 三津加会

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2004年9月掲載


§アートと職人芸の狭間で§


 午後4時半、すべての踊り手の化粧を終えた顔師の楽屋を訪れてお話を聴く。狭い作業場には先刻まで張りつめていたテンションが嘘のように、どこか和やかな空気が漂っている。

 この日の化粧を一手に引き受けていた顔師は新井清さん。今年で五十四歳になるという新井さんはハタチのころにこの世界に身を投じ、いらい膨大な数の踊り手の顔を手がけてきた。

「(仕事歴が)三十年以上になるといっても、弟子入りして暫くは下塗り専門です。師匠は何も教えてくれませんから、(化粧のテクニックは)見よう見まねで覚えていくしかない。そういう世界です」

 弟子は師匠の技を盗んで一人前になる。それは化粧師に限らず、厳しい徒弟制度を敷く職人の世界に共通したしきたりでもある。いかにも効率が悪そうな伝承法だが、そこには「志のあるものだけを残す」という、一種の淘汰が意図されているようでもある。

 だが下塗りだけではいつまでたっても化粧を覚えられないのではないか。

「もちろんそうです。ですから修行中は自分の顔で練習しました。皆そうやって覚えていくんですよ」

 なるほど、それなら誰でも上達しそうな気がする。

「でも自分の顔だけを素材にしていても限界があって、それじゃあなかなか巧くならない。歌舞伎なんかもそうですね、あれはずうっと自分の顔しか描かないから化粧の巧拙がハッキリ出る」

 そう、歌舞伎役者は自分の顔を自分でつくる。そこが日舞と違うところで、男が自分で化粧し、女は他人に化粧してもらうのだ。芸能の伝統は普通の常識と逆なところが面白い。

 いや男は化粧しないか。

「日本舞踊の化粧は、もともと歌舞伎舞踊から来ています。だから化粧も似通っているんだけど、歌舞伎役者は元(素顔の造作)が良いと化粧が上達しないんですね。有名な役者さんにもいるでしょう、けっこうぞんざいな化粧をしてる方が」

 素人目にはそこまでなかなか目がいかないというか、僕などにはまるで判断できないのだけど、流石にプロの目は厳しいのである。


 ところで歌舞伎や日舞の化粧は何種類くらいあるのだろう。

「それは演目の数だけあるのですけど、女形の基本は4種類から5種類くらいでしょうか。十代半ばまでは子供の化粧、十七、八歳くらいからは娘、さらに成長して大人の女性になり、それも町屋のおかみさんと武家の女性では化粧が違います」

「基本パターンだけでなく、髪型によっても変えないといけない。日舞の場合、これは使う鬘の種類によって決まる。だから楽屋に入る時は、その日の番組に合わせて鬘の種類を細かくメモしておきます」そういって新井さんが示した番組のリストには、なるほど個々の演目に併せて細かいメモ書きが添えられている。舞台の裏方の例に漏れず、化粧師も個人プレーより他との連携が重んじられる世界である。

 連携といえば、先ほどのメモには細かなタイムスケジュールも分刻みで書き込まれている。

「踊り手の方は最初にここで化粧を済ませてから衣装を付け、もういちどこちらで腕に白粉をはたき、それから鬘をつける。だからここで仕事が遅れると舞台そのものに影響が出るでしょう。顔師はペースメーカーでもあるんです」

 廊下からはそろそろ最後の演目を待つひとたちの声が聞こえてくる。その喧噪を離れて、新井さんはちょっぴり胸を張ったように見えた。


顔師、新井清さん
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多忙を極めた一日を終えて一息つく顔師、新井清さん。この世界に入って三十余年、すでにベテランの域に達して評価を得ているが、ご自分では「まだまだ若手」と仰る。緊張感あふれる仕事ぶりと、普段の軟らかな物腰が対照的。
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化粧道具
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プロの仕事道具。ほとんどが特注品で、白粉や紅など新井さんご自身が手製したものも多い。
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マカロニ・アンモナイト編集部