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イタリア幻想写真集『ヴェネツィア、霧の光景』


文・写真/篠 利幸

前編目次【1】234 2005年5月掲載

■私がヴェネツィアと出会ったのはかれこれ28年前の…



 2004年の11月13日から12月4日まで『TOSHI a Venezia』(ヴェネツィアにおけるトシ、www.toshi-shino.com)という写真展をヴェネツィアのサン・フランチェスコ教会が管理するサン・パスクワーレ大講堂で開催しました。ここは国際的なアート・イベントであるビエンナーレの会場にもなるところで、過去にも写真家のアラーキーこと荒木経惟氏、また鉄のゲージツ家として知られている篠原勝之さんも展覧会を開催しています。私がここで展覧会を開催することになったきっかけはヴェネツィアの飲み仲間である画家の友人たちの紹介でした。当初は『フォトンブラ・ア・ヴェネツィア FotOmbra a Venezia』の予定でした。フォト=光、写真という言葉とオンブラ=影、そしてヴェネツィアではワインを意味する方言を合成したものです。しかし、キューレターの意向でタイトルが変更になったのです。いずれ私は元のタイトルで写真展を開催したいと考えています。





 私がヴェネツィアと出会ったのはかれこれ28年前の1977年です。当時はまだ画家を志していたので、カメラはスケッチ道具の代わりと思って父のカメラと28mm、85mmのレンズを借りて行きました。撮影は手ブレを極力避けてシャッター速度優先、露出のことなどさっぱり分からず、とりあえずは全部60分の1秒のAEで撮影していました。被写体はもっぱら風景で、スケッチしきれない場合のメモ代わりの記録写真です。





 イタリアのローマをスタートに、アッシージ、ペルージャ、フィレンツェ、ヴェネツィアとイタリア半島を縦断し、そしてフランスのニース、トゥールーズ、パリと列車で移動しながらの旅でした。当初は画家として活動することを夢見ていたフランスがメインでイタリアはヨーロッパ文化の玄関口と思っていました。ですからフランス語は多少使えてもイタリア語はまったく分からず、また道に迷っても英語が通じる人はほとんどいない時代でしたので、かなり疲れました。なにしろイタリアと言えばドロボーの国だというので、父からの大事な借り物のカメラを持っての旅は緊張の連続でした。

 フィルムを交換しようとして大きな建物の入り口の日陰に入ってカメラの出入をしていたらスペイン製の革のバッグのファスナーがずれて噛んでしまいなかなか閉められないのです。もたもたしているとその建物の守衛さんらしいおじさんが笑顔で近づいてきて、「どうした、俺が見てやろう」とでも言っていたのでしょうが、それがもう怪しい奴じゃないかと思えてドキドキしていました。後であらためて中身を点検して何も盗られてないことを確認して初めてあの人は親切だったのだと納得しました。




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