富士写真フイルム株式会社・足柄工場。この正門から続く数百メートルの並木道はもとは公道であったという。 (撮影:中山慶太)
「センス・オブ・ワンダー」という言葉がある。未知のものや不思議なことを求める人間の性質を表した慣用句だけど、その性質に写真ほど強い力で働きかけるメディアは他にない。化学と芸術のちょっとした冒険からはじまったこのメディアは、その発達の過程でいろいろな学問や技術と結びつき、社会と時代を動かす原動力にまでなった。 万物の事象を記録する、とはよく眼にする惹句である。たしかに写真には「目に見えるものをありのままに写し取る」能力があると、そう信じるひとは多い。それは間違いではないけれど、一面の真実でしかない。写真はあるときには忠実な記録者であり、また別の場面では感情を増幅する演出者なのだ。なぜかといえば、その画質はきわめて意図的かつ論理的にデザインされているからである。そしてそのデザインの技法は、フィルム写真とデジタル写真の両方に共通するものだという。 写真の原理が発明されてもうすぐ二世紀。今もひとを惹きつけて止まない「写真の画質」をデザインするひとに会いに行くことになった。 富士写真フイルムが日本国内に保有する工場群のなかにあって、足柄工場はちょっと特別だ。それは日本の写真の歴史を支え続けてきた基幹工場であり、先端技術の研究開発の拠点でもあり、また社名に戴く霊峰を一望にする象徴的な存在だからである。
足柄工場群の全景。遠くに富士を望む素晴らしい立地は「質の高い大量の水」と「澄んだ空気」という条件によって導き出された。同工場は環境マネジメントと環境管理に意を注いでおり、省エネルギーや資材のリサイクルにも積極的に取り組んでいる。構内には鯉の泳ぐ排水路もある (写真提供:富士写真フイルム足柄工場)
国産初の映画用ポジフィルム「富士陽画用フィルム」の再現イメージ。 (写真提供:富士写真フイルム)
足柄工場の操業開始は昭和8年(1933年)。「映画・写真用フィルムの国産化」という重責を担った大日本セルロイド株式会社が、この分野の工場に必要不可欠な「良質の水と澄んだ空気」を探し求めた結果として選んだ立地であったという。当時にあって日本の市場は海外のそれとおなじく米独の二大フィルムメーカー(イーストマン・コダック社およびアグファ社)の寡占状態であり、この生産技術の純国産化は国策の一環でもあったようだ。 今では名実ともに世界の頂点に立つ日本の化学工業界だが、昭和のはじめにはまだ技術的な蓄積に乏しく、フィルム生産の事業にもさまざまな苦難がともなうことになる。ともあれ、こうして足柄工場は成った。大日本セルロイドは、操業開始の翌年に映画と写真用のフィルム事業を独立させ、「富士写真フイルム株式会社」とする。
それから70余年。その間の足柄工場の歴史(Web版「富士フイルムのあゆみ」に詳述されている)は、先行する海外メーカーとの競争やさまざまな新商品開発など、そのまま日本の写真工業の発達史にもなぞらえることができる。また敷地総面積348,000平方メートルの巨大な工場は環境へのすぐれた配慮でもつとに名高く、「自然との調和」「地域との共生」を一貫して推し進めているという。 その工場の正門に立つと、最先端の化学工場とは思えない静謐さと、まさしく最先端の頭脳を内包する厳重な管理体制を実感する。構内での撮影は厳禁、ついでに喫煙も厳禁、ライターの類は受付に預けなければ先に進めないのであった。
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