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webマガジン「マカロニアンモナイト」特集
マカロニアンモナイト
築地場外・写真散策
〜フォトジェニックな市場を歩く〜


写真・文/中山慶太

【目次】123【4】5 2008年5月掲載
4.築地からちょっと脚を伸ばして


早朝の陽光に照らされた勝鬨橋を築地の高みから眺める。ふたつのアーチに挟まれた中央部が跳ね上がる構造だ。画面の左手前が銀座方面、対岸側が月島である。



 築地周辺はとても気持ちの良い散歩エリアでもある。中央市場に隣接して流れる隅田川には美しい橋が何本も架けられており、これを徒歩や水上バスで巡るのも愉しい。なかでも築地と月島を結ぶ「勝鬨橋(かちどきばし)」は、そのユニークな開閉構造でよく知られた存在だ。



映画やドラマのワンシーンのように、早朝には自転車通勤のひとたちが橋を渡る。いっけん無骨な鉄の支柱も、角度を選ぶと洋弓のような曲線が見えてくる。



 昭和15年に完成したこの橋は、当時の物流におおきな役割を果たしていた大型船舶の運行に対応すべく、橋の中央部を電動で跳ね上げる構造とされた。橋が跳ね上がっている間は陸上交通がストップするわけで、これが交通量の多い晴海通りに掛けられた(車道面には都電も走っていた)というのも、時代を偲ばせる話である。



歩道に信号機を備えた橋は珍しい(もちろん現在は使われていない)。歩道の上にかかるのは橋の開閉を管理する小屋。内部には開閉操作用の機械類が設置保存されている。窓や外壁の様式が昭和初期を偲ばせる。



 この開閉する橋が都民にいちばん親しまれていたのは、たぶん昭和30年代だろう。おなじ時代に出版された三島由紀夫の小説「鏡子の家」には、冒頭に勝鬨橋が登場する。時代に敏感だったミシマは、垂直に跳ね上がった橋の路面を、主人公たちに立ちはだかる壁に重ねて描いた。それが戦後の成長期の、一種独特の閉塞感の表現として通用したのだから、昭和も半ば頃はまだまだ長閑(のどか)だったのだ。



分厚い銀色の塗装と無数のリベット、そしてレトロなデザインの街灯。ここには昭和初期の日本が懸命に採り入れた西洋の技術と様式が宿っている。こういう橋が造られることはもう二度とないだろう。



 勝鬨橋は海運の衰退と陸上輸送の隆盛を受け、完成から三十年を経た昭和45年を最後に、その開閉動作を停止した。最後の跳開はその年の11月29日。三島由紀夫が自らの命を絶った、わずか4日後のことである。橋梁内部には現在も開閉用の機器類がそのまま納められており、希望者は見学することもできる。






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マカロニアンモナイト特集「築地場外・写真散策」
【目次】123【4】5 2008年5月掲載
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