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* 週刊フォトエッセイ*

週休六日のススメ

  文・写真/福山庸治 --->Back Number 




128 “初めて”の前と後

 人は、言われてみて初めてその可能性に気が付くことが多い、と先週書いた。
 言い換えれば、具体例を見るまでは気が付かない人が多い、ということでもある。その「見なきゃわからない具体例」を生み出すことが、オリジナリティであり、優れた芸術家の仕事なのだろうと僕は思っている。

 印象派絵画がこの世に出現してからは、人は本物の風景や人物を、印象派の色彩感覚を通して眺めるようになったに違いなく、アヴィニョンの跳ね橋は、ゴッホの絵が存在しなかったら、あの橋もただの橋に過ぎず、人はそれほどの造形的魅力があることを発見出来なかったかもしれない。

 マンガもまったく同じである。
 たとえば、大友克洋氏のマンガ作品に多く登場するキャラクターは、日本人そのものの顔をしている。その誰もが毎日見て知り尽くしているはずの日本人の顔だが、実は誰もマンガでは描いてこなかった。ところが、彼が初めてマンガに描いたことで、日本人が実はこんな顔をしていることに、多くの読者が“初めて”気がついたということがあるだろう。

 しかし、一旦見てしまえば、そう見えること、そう考えることが、昔からそうだったかのように、ごく当たり前のこととなる。何の世界でも二番手が楽なのは、“気が付いてしまった”あとからの仕事だからである。


2002年03月27日掲載

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