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* 週刊フォトエッセイ*

週休六日のススメ

  文・写真/福山庸治 --->Back Number 




167 36年目の卒業式 〜ビートルズと僕〜(7)

 その頃、僕が音楽に出会うチャンスといえば、ほとんどラジオの放送に限られていた。レコードなど値段が高くて、まともに働いている大人でも、そう気安く買えるようなシロモノではなかったからだ。そもそもレコード・プレーヤーそのものさえ、備わっている家のほうが珍しいくらいだった。僕の家には、よそ様から戴いた、家具のように立派な電蓄(*)があったが、これとてSPと呼ばれる78回転のレコードしか掛けられない時代遅れのものだった。だから、お下がりでウチへ回ってきたのだろうが、その電蓄と一緒に戴いたのが、当時としてはまだまだ“新譜”に近い、ペギー葉山の「南国土佐を後にして」(1959年)や、いかにも戦後を忍ばせる「上海帰りのリル」(1951年)などの流行歌。そして残りの大半は、広澤虎造などの浪曲といったコレクションで、いま手元にあれば、それはそれなりに楽しいなとは思うものの、新世界への好奇心に満ちた少年には、とんでもなくカビの生えた過去の遺物でしかなかった。

 (*)電蓄:電気蓄音機(レコード・プレーヤー)のこと。

 レコードは、少年にとって、まだまだ高嶺の花でしかなかったが、そのかわり、ラジオ放送からは、実に様々なジャンルの音楽が流れていた。
 海外のものだけでも、エルヴィス・プレスリーやポール・アンカ、ニール・セダカ、コニー・フランシス、パット・ブーンなどのアメリカン・ポップス。ナット・キング・コールやレイ・チャールズやプラターズなどの黒人系音楽。アメリカだけではない、イタリアのカンツォーネ勢も、フランスのシャンソン勢もいた。ニノ・ロータやヘンリー・マンシーニなどの映画音楽もあったし、マイルス・デイヴィスやアート・ブレーキーなどのジャズ音楽も盛んに流れていた。

 そして、この時代は聴取者の人気投票によるベストテン番組が非常に盛んで、驚くべきことに、いま挙げてきたような、国籍もジャンルも異なったアーチストの曲が、日本では、同じ一つのベストテンの中に、ごった煮よろしくランキングされていたのである。 たとえば、あくまで考証無視の参考イメージとしてであるが、いまでは到底考えられない、次のような案配のベスト10だったのである。


一位  映画「シャレードのテーマ」
ヘンリー・マンシーニ(米)

二位  「ヘイ・ポーラ」
ポールとポーラ(米)

三位  「アイドルを探せ」
シルビー・バルタン(仏)

四位  「ゴーカート・ツイスト」
ジャンニ・モランディ(伊)
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2003年01月22日掲載

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