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* 週刊フォトエッセイ*

週休六日のススメ

  文・写真/福山庸治 --->Back Number 




241 ネタの袋小路(3)

 煮詰まって袋小路に入ってしまったようなネタが、必ずしもダメなネタとは限らない。僕は現在「MacPeople」や「小説新潮」や「週刊ダイヤモンド」などの雑誌に、毎号1コマ〜3ページから成るショート作品を連載させてもらっているが、実はどれもこれも毎号欠かさず煮詰まったり、袋小路に入ったりしている。繰り返す、毎号欠かさずである。決して自慢にはならないが、一作たりとも、途中煮詰まらなかったことがない。もし、このエッセイの読者にマンガ家志望者がおられたら、ベテランのマンガ家でもそんなものかと、さぞかし失いかけていた自信を取り戻されたことだろうと思うが、そう思うのはまだ早いかもしれない。

 その煮詰まったり袋小路に入ったところからが、本当の勝負なのである。
 この、どうにも袋小路から出られないと感じた時点で簡単に諦めてしまうようだと、永遠に作品は完成しない。あるいは、完成しても大して面白くない。要するに、ネタに対してまだ技を仕掛けていないからだ。技を仕掛けていないから、ネタがまっすぐに突っ立ったままなのである。突っ立ったものが、突っ立ったまま終始しても、作品が面白いはずがない。そこは巴投げを掛けるなり体落としを掛けるなりして、態勢を崩してやらないといけない。大技でも小技でも何でもいい、掛けられそうな技はとりあえず掛けてみる。そしてひとたび態勢が崩れたら、そこをすかさず押さえ込んで別の形に作り変えるのである。
 もっとも、無闇やたらと崩せばいいってものでもない。最終的には、崩れたものを美しくまとめなければいけないからだ。いわばオムレツを作る要領である。あの堅い殻の物体が、ふわふわした柔らかい食べ物に変わる。卵だから見慣れてはいるが、実はそこには劇的な飛躍があるのである。その飛躍は、僕の場合、ハナシが煮詰まり袋小路に入った時にこそ生まれる。そして、この中は焦りと苛立ちの巣窟である。果たして、マンガ家志望者がこうした袋小路に耐えられるか?


2004年09月22日掲載

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マカロニ・アンモナイト編集部