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* 週刊フォトエッセイ*

週休六日のススメ

  文・写真/福山庸治 --->Back Number 




312 初恋(6)

 会が始まる前の雑然とした中で、彼女は僕の嫌な予感を先取りするように、実にあっけらかんとした口調で、自分が癌であること、全身に転移していて、いつまで生きられるかわからないことを僕に告白した。

 僕は絶句した。
 こういうときに、どういう顔をすればいいのか僕は知らない。今までにこにこ笑っていたのに、急に深刻な顔を作るのもわざとらしく滑稽な気がする。ええい、ままよ、いま衝撃を受けたのは確かなのだから、その気持ちに素直に従って自然体のままでいればいいんだ、とか何とか気をぐるぐる回していると、彼女はそうした告白を聞いた人が、とってつけたように小賢しく振る舞おうとするのを嫌というほど見てきたのだろう、僕に考える暇など与えず、大阪のオバちゃん喋りを続けた。

「動けるうちにやりたいことをどんどんやって行こうと思ってるの。この間もアメリカにいる娘に会いに行ったの。楽しかったわ。この同窓会も、庸治クンに会いたくて参加したの」

「クン」とは、もちろん僕のことである。
 そうか、そうだ、そういえば彼女は時々僕のことをそういうふうに呼んでいたような気がする。さて、僕のほうは直接にはどう呼んでいたか思い出そうとしたが、さっぱり思い出せない。まるで記憶がないのである。もしかしたら、名前を一度も呼んだことがないのかもしれない。だとしたら、理由は一つしかない。恥ずかしかったからだ。本人のいないところでは、照れて口ごもりながらも「○○ちゃん」と言えるのだが、本人を前にするとなぜか言えなかった。言うと、今ある距離感が微妙に違ってきて、それまでの心地よかった秩序ががらがらと壊れてしまいそうな気がした…… というのは大人になった僕の創作だが、もしかしたら、子供ながらにそんなふうな恐れを抱いていたのかもしれない。


2006年03月15日掲載

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マカロニ・アンモナイト編集部