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* 週刊フォトエッセイ*

週休六日のススメ

  文・写真/福山庸治 --->Back Number 




344 離れを建てる 〜short break 佐渡島への旅(2)

 義父は現在81歳。60歳を過ぎてから、何度も病に倒れては生還してきた悪運の強い人である。癌が見つかっては除去し、脳梗塞で倒れては頭蓋骨を二度も開き、挙げ句の果てに、弱って細まった心臓の血管を、自分の脚から採取した丈夫なものと交換する大移植手術をも受けている。その一件からは僕も立ち合っている。つい二年ほど前のことだ。それ以前のことは、僕がつれあいと結婚する前の話である。なので、僕が最初に会った時から、義父は杖をつきながらよろよろ歩く人だった。

 そんなふうだから、義父の左半身には麻痺が残っており、立って歩けることは歩けるが亀のようにのろい。それに、下手にいきむと再び脳の血管が切れる恐れがあるので、利尿剤や下剤を服用している。そのために、トイレが異様に近い。そういう人に誠心誠意付き添ってきた、義父よりひとまわり以上も若い義母があろうことかこれまた癌を患い、そのまま他界。とまあ、どんどん話が重くなっていくようだが、そうならないよう笑える話にしようと思っているので、続けて読んでいただきたい。

 義母も癌を患う前後からさすがに体力が落ちていたようで、義父の世話をするのがかなりしんどくなっていたようである。「私が死んでも、あなたたちはお父さんの面倒は見なくてもいいから。どこか施設に放り込んでちょうだい。あたしがすぐに(あの世に)連れて行くから」と、娘(つまり僕のつれあい)に言い残して亡くなっていった。

 そういう経緯があり、僕らもさすがにあの義父を自宅で介護することは不可能と感じていた。到底義母のようには出来ない、あの大変さは自分が選んだパートナーだから出来ることであり、ましてや僕のつれあいは「福山」である。つれあいには一歳違いの弟君がいて、いずれは立派な墓を引き継ぐことになるはずなのだが、彼の姉であるつれあいに何もかもほとんど下駄を預けっぱなしで、まったくアテにならない。ちなみに、義父が残せる財産らしきものと言えるのは、先祖が徳川のお殿様から直接賜ったとかいう立派な墓所くらいのものである。何度も病でぶっ倒れたせいで、僅かな蓄えのすべてを使い果たしてしまったのだ。結局、義母の遺言に従い、なんとか介護施設に入ってもらうことにした。

 とかなんとか、なかなか佐渡島旅行が始まらないが、たぶん次週には出発していることと思う。



※「離れを建てる」を第1回から読みたい方は、こちら


2006年11月15日掲載

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マカロニ・アンモナイト編集部