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(C) yasushi KABATA


* 週刊フォトエッセイ*

下野康史の出物・ハレMONO

  文・写真/下野康史(かばた・やすし) --->Back Number 




第14回 『鉄ちゃんの想い出写真 #1』

 ぼくが生まれて初めて原稿料をもらったのは、高校1年のときである。SLブームだった当時、キネマ旬報から『月刊蒸気機関車』という雑誌が出ていた。そこで公募していたSL撮影紀行文みたいな原稿が採用されたのである。本屋で立ち読みしたら、自分の名前がけっこう大きく出ていたのでびっくりした。いま読んだら赤面するしかないヒドイ文章なのだが、ちゃんと規定の原稿料が現金書留で送られてきた。五百円札が1枚。30年以上前はそんなお札があったのだ。
 前回、デジカメの話で昔撮った写真をひっくり返していたら、中高生のころの“作品”が出てきた。国鉄の無煙化で、日本からSLがなくなろうとしていた当時、日曜日や(土曜日は休みじゃなかった)長い休みを利用して撮り歩いたものだ。「クラーイ」と言う人も多いだろうが、現地へ行くと、駅員さんだとか機関士だとかに勝手になついたりして、ぼくとしては“取材”のつもりだった。
 高校の入学祝いに一眼レフを買ってもらい、それまでのハーフサイズから一気に写真のクォリティは上がったと思うが、その後、SLの走る路線は減るばかりだった。

「八高線 高麗川 1969年2月」

 八王子と高崎を結ぶ八高線には、石灰石を運ぶD51の貨物列車が走っていた。本数がけっこうあるので、撮影の効率が高い。川崎の実家から日帰りで行くには絶好で、日曜日によく通った。とくに高麗川は「こまがわ」というエキゾチックな地名も好きだった。逆光気味でうまい写真ではないが、見ているぼくだけには冬枯れの空気のニオイがしてくる。秩父が近いので、このへんはいまでもたまに自転車で行くが、あんまり変わっていないところである。もちろん八高線の八王子寄りはとっくに電化されていて、通勤電車が走っているけど。


2005年01月05日掲載

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マカロニ・アンモナイト編集部