* 週刊フォトエッセイ*

脊山麻理子の天然寫眞的日乗 BE☆NATURAL

  脊山麻理子 --->Back Number


写真
---> 拡大表示

(C) keita NAKAYAMA








「市井のALCHEMIST #4」(Jun. 2006 #04)

 写真を趣味とするひとの多くが、いや仕事で撮っている人も含めて、とにかく写真に意識を持って創作している人の多くは、借り物の視線で作業をしている。どういうことかというと、まずお手本になるイメージがどこかにあって、それを参考にしながら露出や構図を決めたりしている。
 写真に限らず、絵画や音楽や文学でも、いや歴史を持つあらゆるアートにおいて、つくり手はサンプリング(標本化)の影響から逃れられない。意図しなくても影響を受けるのだから、一種の呪縛のようなものだ。そして過去の記憶のストックが豊富なひとほど、その視線は誰かの借り物になりやすい。
 老練な撮り手はお手本を巧みに組み合わせ、アレンジを加えて出力する。だから結果から素のままのオリジナルが顔を覗かせることはすくないけれど、その土台にサンプルの山があることは確かである。
 いっぽう子供にカメラを持たせると、不思議と新鮮な切り取り方で世界を描く。これも理由はいっしょで、アタマに蓄積したサンプルの数がすくないから、視線が借り物にならないのだ。
 だが、世の中にはごく稀に、子供のような視線で大人の写真を撮るひとがいる。脊山麻理子もそのひとりだ、と書いたら本人は怒るかもしれないけれど、僕の目に彼女の写真はそう見える。なぜそうなのか、それを詮索するつもりはない。写真を観るだけでじゅうぶん満ち足りる、それも彼女の才能のひとつである。

 市井(しせい)の風景をアートに変える才能。それは街角の錬金術のようなものである。

(text:k. nakayama)

※今月は都合により脊山麻理子さんの写真とエッセイは休載させていただきます。


2006年06月28日掲載

<--Back     Next-->



Copyright :
マカロニ・アンモナイト編集部