* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers
東京レトロフォーカス


  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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本連載に初登場のクラシック中判カメラ。6×9判の実画面サイズはおよそ57mm×86mmで、2対3の縦横比は35mmフィルムとおなじ。中判カメラ用レンズの場合、解像度やコントラストは35mmカメラ用のそれに比べて低目に設定されるのが普通で、この機体のインドスタール・レンズも決してシャープな描写ではない。発色はニュートラルだがやや渋め。中判フォーマットの優位を実感できるのは大伸ばしをしたときの微粒子感だけだろう。では、シーラカンスのようなこのカメラを使う意味はどこにあるのか? 答えは次号以降で。
Mockba-5 + Industar-24 105mmF3.5 FUJICHROME PROVIA F (RDPIII) Exposure Data:1/100sec. F=5.6



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●プチ連載:
『マリコのphoto diary #1』
私の左手。アメリカに留学していた頃、自分の手を鉛筆でデッサンすることにはまっていてたくさん描いた。だからいろいろなその頃の左手を今でも見つめられる。右手でえんぴつ持つからいつも左手。この写真も左手。左手のネイルはいつもピカピカ。右手はお皿洗ったり、携帯メール打ったり、何かと使うからすぐネイルが剥げる。だからあんまり可愛がってない。(撮影:脊山麻理子)
Retina IIIc + Rodenstock Heligon 50mmF2 FUJICOLOR SUPERIA400 Exposure Data:Unknown



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●今週のお題:
『モスクワ−5(インドスタール24)』
旧ソ連製の中判カメラを代表する名品。モスクワシリーズの原型は戦前のドイツでツァイス・イコンが開発した『スーパーイコンタ』C型で、特に最初期の『モスクワ−1』および『−2』はコピーというよりほぼ完全なクローンである。これはドイツが東西に分割された際に東側にあったツァイスの工場がソ連に接収されたためで、この経緯はレンジファインダー機の『コンタックス』が『キエフ』として生産された事情に似ている。ただし戦前のイコンタはのちに西側領土となるシュツットガルト工場で製造されていたので、クローン誕生の事情はキエフほど単純ではないようだ。モスクワは幅160mmに達する大柄な機体だが、蛇腹を畳めばボディの厚みは50mmを切る。
Nikon FE2 + Micro Nikkor 105mmF2.8 FUJICHROME ASTIA(RAP) Exposure Data:1/15sec. F=16

 ジャバラの時代 #1

 さてさて今回はカメラの歴史である。
 そもそも寫眞機のはじまりは十九世紀なかばのこと、仏蘭西の発明家ニエプス氏が発案した映像記録法を、協力者のダゲール氏が発展させたダゲレオタイプ(銀板写真)用暗箱だといわれている*。
 現存するダゲール氏の寫眞機をみると、丁寧に“ほぞ組み”されたマホガニーの箱は、一辺が約十六センチの立方体。昔懐かしのマッチ箱を思わせる二重構造で、いっぽうの箱にはレンズ(差し込み式の固定絞りを持つ)が固定され、他方には感光剤の銀を塗布した板硝子を装着する。焦点調節、すなわちピント合わせはふたつの箱を前後にスライドさせて行う。伸縮する暗箱の前板にレンズを、背面にフィルムを背負う成り立ちは現在の大判カメラでも不変である。
 すなわち寫眞機の基本構造は、その開発時点ですでに完成していた。その後の進化はおもに使いやすさを追求したもので、小型化や自動化がこれにあたる。
 さて、ニエプス氏の銀板写真とダゲール氏のカメラはセンセーションを巻き起こしたものの、普及にはなお多くの弱点を克服せねばならなかった。暗いレンズと感度の低い感光材料は最たるもの** だが、マッチ箱式の焦点調節も機械として洗練にほど遠かった。木製の二重暗箱をスムーズに伸縮させてピントを合わせるのは至難のワザで、しかも大きく重いボディは運搬に支障をきたすからだ。
 手元のカメラ史をひもとくと、この部分の構造を革新したのは英国人だったようだ。1860年前後には彼(か)の国でコンパクトに折り畳める暗箱が開発され、寫眞機と寫眞術の普及に貢献した、とある。
 折り畳み暗箱には、軽く、伸縮自在で、かつ耐久性に富む素材が必要だ。知恵者の英国人が選んだのは、鍛冶屋や楽器屋で見慣れた素材──皮革や布を幾重にも折り畳んだ蛇腹だった。

*注1:カメラの起源にはふたとおりの説があり、ジョゼフ・ニセフォール・ニエプスが1816年に陽画像を記録した暗箱をとるか、ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールが1839年に発表した銀板写真機に栄誉を与えるか、これは研究者によって解釈が分かれるようだ。ただしケミカルな記録媒体を用いない暗箱原理の発見は遙かに旧く、十一世紀のアラビア人物理学者エル・ハゼンが『カメラ・オブスキュラ』の原型をつくった人物とされている。

**注2:史上最初の市販カメラは1839年にダゲールが発売したもので、口径比の小さい(暗い)レンズは適正露出を得るのに晴天日中の屋外で二十分以上の露光を必要とした。さすがにこれでは人物写真に用いることはできず、翌1840年には『ペッツヴァール型肖像レンズ』を搭載したカメラが登場する。ウィーン大学のヨーゼフ・マックス・ペッツヴァール教授が設計したこの高性能レンズのお陰で、露光時間は僅か45秒にまで短縮された。ちなみにこのレンズの製造を行ったのは当時ウィーンに本拠を構えたフォクトレンダー社であった。

●作例モデル:脊山麻理子
今週からマリコちゃんのフォトダイアリーがスタート。古典カメラを知らない世代によるフレッシュな作例をお楽しみください。


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