* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers
東京レトロフォーカス


  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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2002年6月27日、午後3時半のオルセー美術館。駅舎を改装したこの美術館は巨大な天窓から降りそそぐ自然光が印象的、どの空間にも軟らかな光が満ちている。ただし絶対的な光量はそれほど多くないから、感度100のアスティアで絞り込むとけっこうな低速シャッターになる。階段の踊り場の手すりを三脚代わりにしてカメラをホールド、二眼レフのウエストレベルファインダーはこういう時にありがたい。
Meopta Flexaret VI + Belar 80mmF3.5 FUJICHROME ASTIA (RAP) Exposure Data:1/25sec. F=11



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font size="-1"> 北イタリアのホテルにて、ブルロット家の姉妹を撮る。背景の壁に掛かっているのはピエモンテ王家一族の肖像画。いつも物静かな妹のエリザベッタ(右)はこの王様の別荘を継ぐ予定で、ボーイフレンドのドナート君とともに現在修行中。室内が暗いので三脚に載せ、安心してスローで切っていたらアレッサンドラが動いた。
Meopta Flexaret VI + Belar 80mmF3.5 FUJICHROME ASTIA (RAP) Exposure Data:1/10sec. F=5.6



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●今週のお題:
『フレクサレット二眼レフ』
大戦直前にはじまったチェコスロヴァキア製二眼レフのシリーズは、フレクサレットIV(シリーズ4:画像の左端)で大きく変わり、続くVでいったん完成の域に達した。そこから新たな飛躍を期して大がかりな改変を施したのがVI(シリーズ6:画像中央)。さらに最新の技術でモダナイズを図った機種がVII(シリーズ7:画像右端)で、これが最終機である。それぞれのシリーズは生産途中にも変更が加えられ、機種名の末尾に“a”が付く後期型も存在するが、ボディにはモデル名が刻印されないので見分けるのは難しい。
FUJI FinePix S1 Pro + Micro-Nikkor 105mmF2.8 Exposure Data:1/10sec. F=8

 モラヴィアの残照、フレクサレット #2

 チェコのカメラといわれても、ピンとこない方も多いだろう。僕のフレクサレットを見た友人も、
「チェコでカメラ造ってたの? ああそうか、ボヘミアガラス*でレンズもつくれるんだ」という程度のお寒い認識であった。
 その友人が特別にカメラオンチ(←差別用語か?)ということもあるけれど、まあおおかたのひとはドイツ製と日本製の写真機しか見たことがないだろう。近代の写真工業を発展させたのは確かにこの両国なのだが、二十世紀の半ばにはヨーロッパの多くの国がそれぞれの国産カメラを製造していたのだ。
 こうした“非・日独カメラ”は今もときおり中古カメラの市場に顔を出す。いくつかの製品を手にとって実感するのは、それらが市場競争に敗れて消え去った理由である。それなりに味のある写真は撮れるのだけれど、操作性が悪くて実用に向かないか、あるいは仕上げが雑で趣味の物品としての魅力に欠けるのだ。
 ところが、フレクサレットやオペマ(第二次大戦後に短期間製造された35mmレンジファインダーカメラ)に代表されるチェコスロヴァキア製のカメラは、現代の目で見ても充分な機能と品質を持つものが多い。こうしたカメラを量産した技術も併せると、この国のカメラが歴史にほとんど名を遺していないのが不思議である。

 なぜチェコは優秀なカメラを造り得たのか。
 そして、なぜそれらは消えていったのか。

 その理由を知るためには、チェコという国の工業技術が発展した道筋を辿るところからはじめなくてはいけない。ちょっとお受験系のカタイ話だけど、短くまとめるのでおつき合いください。

 こんにち『チェコ共和国』として知られる国は、中欧のボヘミア地方とモラヴィア地方を統合した国家である。首都のプラハはヴルタヴァ川(モルダウ川)に面し、古来より交通の要衝として栄えていた。
 この地方の工業技術の基礎を築いたのは、中世のボヘミアを支配した神聖ローマ帝国だろうか。十四世紀にはローマ法王カレル四世がプラハを皇帝居住区に定め、『カロリヌム』という大学を創設した。中世のプラハはヨーロッパでもっとも進んだ都市であり、近代のパリにも匹敵する“商業と文化、学問の都”だったのだ。
 チェコの工業を発展させたもうひとつの要因として、十六世紀から二十世紀まで続いたハプスブルク帝国の支配がある。中世から近代に至る道程で、欧州の広い地域を支配したこの帝国を支えたのは、チェコの高い工業技術と安価な労働力であったという(ボヘミア地方には豊富な銀の鉱脈があり、これを精錬加工する金属工業も発達していた)。
 つまり、早い話がチェコはヨーロッパの生産工場だった。このあたり、なにか現代の日本とアジア諸国の関係を思わせるものがあるけれど、チェコの民衆がその工場を自分たちのために使い始めたところから悲劇が始まる。

●作例モデル:アレッサンドラ&エリザベッタ
※夏休み中の脊山麻理子さんは次号より復帰します。

*注)チェコの特産品として知られるボヘミアガラスは、ヴェネツィア共和国の領有を果たせなかったハプスブルク皇帝が、そのガラス工芸を模倣して作らせたことに始まる。原料には鉛を多く含むクリスタルガラスが使われるが、これは光学レンズとは性質が違うのでカメラや望遠鏡などへの転用はできない。


2002年09月11日掲載

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