* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers
東京レトロフォーカス


  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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フレクサレットの撮影レンズは、IV型以降はすべて共通のベラー80mmF3.5。スペックも共通のはずなのだけど、製造年代によって描写には微妙に差がある(ロシアンレンズほど衝撃的な個体差はない)。僕が持っている3台も、並べてみるとコーティングの色が違っていたりする。もっとも先鋭な描写をするのはこのIV型に付いているレンズで、コントラストもシャープネスも申し分ない。
Meopta Flexaret IV + Belar 80mmF3.5 FUJICHROME ASTIA (RAP) Exposure Data:1/100sec. F=5.6



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●プチ連載:
『マリコの PHOTO DIARY #9』
谷崎潤一郎の小説「痴人の愛」の譲治に出会う前のナオミが働いていて、「少年」の少年たちが食べに来てそうな、すこし色っぽくて子供っぽくて、甘美な陶酔に浸れる魅惑的な甘酒屋さん。(実際はおばあちゃんが給仕なのだけど)谷崎潤一郎の「秘密」「痴人の愛」「春琴抄」「細雪」、遠藤周作の「女の一生〜キクの場合」をのんびりここで読みたくなった。次生まれてくるなら東京中がこの雰囲気な時代にいい女として生きたいなあ。
(文・撮影:脊山麻理子)
Meopta Flexaret VI + Belar 80mmF3.5 FUJICHROME ASTIA (RAP) Exposure Data:Unknown



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●今週のお題:
『フレクサレット二眼レフ』
フレクサレットVIは1961年に登場した新世代機種で、67年まで製造された。V型(シリーズ5)までとの最大の相違点はシャッターがセルフコッキング方式に改変されたことで、巻き上げノブの操作に連動してシャッターがチャージされ、素早い連写も可能になった。このメカを収めるためボディは厚みを増し、重量も増加している。銘板はそれまでの浮き彫り風ダイキャストからエッチング処理された金属板に置き換えられたが、これは好みの分かれるところか。表皮はこのグレーの他に黒もあった。
FUJI FinePix S1 Pro + Micro-Nikkor 105mmF2.8 Exposure Data:1/10sec. F=8

 モラヴィアの残照、フレクサレット #4

 欧州全土を覆った戦火もやがて終息し、チェコスロヴァキアはふたたび平和と独立を取り戻す。チェコ南東部モラヴィア地方の光学メーカーも活気づいていた。ドイツ軍向けの製造ラインを撤去し、途絶えていたカメラ造りを再開したのだ。
 1946年に『メオプタ』と社名を変えたこの企業が、その二年後に戦後初の二眼レフとして世に送り出したカメラは『フレクサレット』と命名された。戦前のごく短い期間に造られたカメラの後継機である*。

 さて、ちょっと重い話が続いたのでしばらく休憩しよう。
 そもそも“二眼レフ”というカメラ、見たことはあっても触ったことのないひとが多いと思う。それは無理もない話で、現代ではほとんどのメーカーがこのタイプのカメラ造りから撤退してしまったからだ。
 だから、なぜレンズがふたつも付いているのか、中身がどうなっているのかもあまり知られていない。二眼レフ(Twin Lens Reflex Camera=TLR)の名が示すように、これは反射鏡を使ってレンズの光路を折りたたみ、ファインダー像を得るタイプのカメラだ。その意味では一眼レフ(Single Lens Reflex Camera=SLR)の親戚のようなものなのだけど、TLRは撮影用とビューファインダー用にそれぞれ独立したレンズが与えられる。なんでそんな面倒なことをするかって?
 理由はひとつ、「こうすればミラーを動かさずに済む」からだ。SLRではレンズとフィルムの中間にミラーが入るため、撮影時にはこれを跳ね上げなければならない。これには複雑なメカが必要だし、シャッターを押した瞬間にファインダー像が消失するので、撮影者は露光中の被写体を確認できない。またミラーが動くときのショックも問題で、低速シャッターではカメラブレを起こしやすい。
 TLRはこうした欠点がなく、構造もわりあいと単純なので、大量生産に向いていた。だから1929年にドイツで発売されたローライフレックスの大ヒットに世界中が追従したのだ。そのブームは日本にも波及し、特に戦後は大小のメーカーがこぞって“ローライもどき”を濫造した。
 もちろん二眼レフにも欠点はある。レンズ交換ができないことなどはその最たるものだろう。やがて技術革新でSLRが欠点を克服(というか、目立たなく)すると、TLRブームはどんどん下火になり、手がけるメーカーも減っていった。
 その波はチェコスロヴァキアにもおよんだはずだが、この国で二眼レフが滅んだのはもっと別の理由による。

 フレクサレット二眼レフ発売のおなじ年、共産党政権による『チェコスロヴァキア人民共和国』が誕生した。すべての国民が待ち望んだこの第二共和国によって、戦後の混乱も終わり、持ち前の工業力を背景に繁栄がやって来るはずだった。
 しかし、国がひとつにまとまった時、世界は二つに割れていたのだ。

●作例モデル:脊山麻理子

*注)戦前の“フレクセッテ”等と“フレクサレットII”の外観デザインにはほとんど共通の特徴がない。ボディのダイカストなども別型のようで、後継機というよりは新シリーズと考えるべきか。なおフレクサレットにはI型(シリーズ1)も存在するようだが、実機は未確認。メオプタ社のWebサイトではフレクサレットII(シリーズ2)とIII(シリーズ3)はどちらも1948年の発売となっている。 またメオプタ社は終戦直後の1945年に“ミローナ2”(Milona II)という中判スプリングカメラを発売している。本稿アップ時に「ミローナは板金ボディの大衆機」と記したところ、読者の井田博敏様より「ボディは板金でなくダイキャスト製、レンズのチルトも可能で廉価機種とは思えない」というご指摘をいただいた。ここに訂正するとともにお礼を申し上げたい。


2002年09月25日掲載

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