* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers
東京レトロフォーカス


  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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僕が所有するVI型は絞り開放付近でハレーションが発生し、ソフトフォーカスレンズになってしまう(下の麻理子ちゃんのダイアリー写真はその例)。これはレンズ内部にオイルがまわっているためで、おそらく以前のオーナーがシャッターに過注油したのだろう。この作例のように絞り込めばそれほど気にならないので、とりあえずそのまま使っている。神田明神にて。
Meopta Flexaret VI + Belar 80mmF3.5 FUJICHROME ASTIA (RAP) Exposure Data:1/100sec. F=8



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●プチ連載:
『マリコのPHOTO DIARY #10』
木の下から空を見上げたときの光がとても好き。

木に目の焦点を合わせると花はふんわりぼやけて空はきらきらやわらかい光線で私の目を眩ます。

木陰で上を向いてお昼寝すると、心地よい眩さで心が太陽のいい匂いでいっぱいになる。

この写真を見ているとやっぱり心が太陽のいい匂いでいっぱいになる!
(文/撮影:脊山麻理子)
Meopta Flexaret VI + Belar 80mmF3.5 FUJICOLOR PRO400 (PN400) Exposure Data:Unknown



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●今週のお題:
『フレクサレット二眼レフ』
フレクサレットの最終機種、VII型(シリーズ7)。完成度の高いVI型をベースに最高速1/500秒の新型シャッターに換装した発展型である。これにともない速度設定は現在とおなじ倍数系列となった。他にもLV(ライトバリュー)露出システム、多重露出対応など新機能は多いが、むしろ撮影者にとっての福音はフレネル付き焦点板の採用だろう。周辺部まで均等な明るさを持つ新型スクリーンのおかげで、被写体の観察はずいぶん楽になった。
FUJI FinePix S1 Pro + Micro-Nikkor 105mmF2.8 Exposure Data:1/10sec. F=8

 モラヴィアの残照、フレクサレット #5

 共産党政権による人民共和国の成立は、ふたたび主権国家の地位を回復したチェコスロヴァキア国民の、一時的な熱狂の産物であったかもしれない*。あるいはたび重なる他国の支配と圧政から逃れるために、中欧の小国家が働かせた自衛本能だったのか。いずれにせよこの選択は、やがて国民の意思に反する方向に国家を押し流していく。その奔流にモラヴィアの光学機器メーカーも巻き込まれていくのだった。
 1949年、COMECON(経済相互援助会議)に参加したチェコスロヴァキアは東側経済ブロックの一員となった。東西の冷戦が始まったこの時期、コミュニストの世界はなべてスターリン主義の時代である。チェコスロヴァキアの工業も、他の中・東欧国家のそれと同様に、ソ連の強権的主導による計画経済の実践を余儀なくされる。
 東側における計画経済とは、共産圏全体の生産活動を最適化して中央(=モスクワ)でコントロールする手法だ。それぞれの国や企業の事情はすこしだけ考慮されても、技術者の意志とは無関係に「この製品はあの工場で何台造る」と決めてしまう。え、ユーザーニーズ? 君は資本主義者かね。
 まあ西側経済の自由主義とは正反対のやり方だけど、この手法にも美点がないわけではない。国家や企業間での過当競争をおさえ、資本と労働力の浪費を防ぐことができる。生産手段をひろく社会で共有すること、それは社会主義の理念でもある。
 だが、そもそもカメラなどは、無駄な競争によって進化したともいえるのだ。

 チェコスロヴァキアにおける計画経済の影響は、50年代から60年代にかけて製造されたカメラにも看て取れる。この時代に写真表現を変えつつあったカメラ、すなわち35mmフィルムを使用する高機能システムカメラがほとんど見あたらないのだ。これはチェコ工業の、というよりモラヴィアの光学機器メーカーの技術水準を考えれば不可解なことで、おそらくこの事業分野は東独とソ連が分担して独占する了解があったはずである。
 この時期のメオプタ社のカタログには、大量の引き伸ばし機とムービーカメラ、劇場用映写機(それぞれ欧州で有数の生産数、特に映写機は中・東欧で唯一のメーカーだった)が掲載されている。反面スチールカメラはあまり充実しておらず、35mmのいわゆる“ライカ判”はオペマ**という例外を除き、小型の大衆機やこれをベースにしたステレオカメラだった。
 それでは、チェコスロヴァキアの写真家は自国のメーカーに見捨てられたのか、といえば答えはNe(ノー)である。メオプタ社は独自の中判二眼レフ、フレクサレットに絶え間ない改良の手を加え、写真愛好家の要求に応えたからだ。60年代の末にある事件が起きるまでは。

●作例モデル:脊山麻理子

*注1)大戦直後のチェコスロヴァキアでもっとも民衆に支持された政党は共産党であり、コミュニストの政党は必然的にソ連に近しい政策をとった。ただしこれは大戦末期、スターリンの赤軍がこの国をドイツの支配から開放した事実とセットにして考える必要があるだろう。48年の共産党政権成立にもソ連が密接に関わっていたという。

**注2)オペマはかつての占領国ドイツの高級機を参考にしたレンズ交換式レンジファインダー機。メオプタ社の技術力を伺わせる“隠れた名機”といえるのだが、製造期間は50年代末のごく短期間に限られる。おそらくソ連製ライカコピー機との競合が問題になったのだろう(オペマについてはまた別の回で書きます)。


2002年10月09日掲載

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