* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers
東京レトロフォーカス


  文・写真/中山慶太 --->Back Number


写真
---> 拡大表示

ペンタコンという名のコンタックスにペンタックスをネジ込んで、中華街のメインストリートを歩きながら撮る。駄洒落みたいな組み合わせだが、これはM42レンズ規格のデファクト・スタンダード化に貢献した旭光学が70年代に発売した製品だから、なんとなく筋は通っている。広角レンズの特性で、この程度のシャッター速度では期待したほどブレない。後ろ向きに歩くときはクルマにご注意。
Zeiss Ikon Pentacon + Pentax SMC Takumar 28mmF3.5 FUJICOLOR SUPER400 (SP400) Exposure Data:1/30sec. F=5.6



写真
---> 拡大表示

中華街の路地裏はワンダーランド。雨の日は地面のアスファルトが重く沈み、水たまりに看板の原色が映えるので撮影には好条件といえる。フラットな光の条件でも立体感が出るペンタックス28mmは(ちょっと地味だけど)やはり素晴らしいレンズだと思う。蒸籠の湯気で暖をとる麻理子ちゃん。
Zeiss Ikon Pentacon + Pentax SMC Takumar 28mmF3.5 FUJICHROME ASTIA (RAP) Exposure Data:1/30sec. F=4



写真
---> 拡大表示

●今週のお題:
『ペンタコン(コンタックスD)+M42レンズ』
世界初の“おでこ”を備えたカメラである。その成り立ちはレンジファインダー版コンタックスを基本にミラーボックスを附加したものといえ、各部の操作感も戦前のコンタックスそのもの。ゴリッとした操作感触も不変で、巻き上げ動作の途中でトルクが変わる(シャッターチャージの動作が加わる)ところまで一緒だ。内部機構が複雑なギアの塊であることを指の皮を通して実感できる? 洗練のライカに対し、剛直なコンタックスという構図はここでも生きている。前面に配置されたレリーズボタンはたいへん使い易く、かつレスポンスに優れる。
Nikon FE2 + Micro-Nikkor 105mmF2.8 FUJICHROME ASTIA (RAP) Exposure Data:2sec. F=11

 ペンタプリズムの革命 #2

 さて。このガラスのプリズムがいったい何の役に立つのか。その話をする前に、お約束として一眼レフカメラの発達史に触れておかないといけない。またしても難しい話になってしまって恐縮なのだけど、気軽に読み飛ばしていただければ幸いです。

 いぜん二眼レフの項で触れたように、一眼レフ(Single Lens Refrex=SLR)カメラとは「レンズとフィルムの間にミラーを置いて光軸を折り曲げ、ファインダー像を得る型式のカメラ」である。通常このミラーは45度に傾けて置かれ、レンズを通った光は直角に曲げられて上方に向かう。初期の一眼レフではこの先に(フィルム面までと等距離に)磨りガラスなどのピントスクリーンを水平に置いていた。撮影時にはミラーを畳んでフィルム面に光を導く仕掛けだ。
 この革新的な機構(撮影者が胸元のカメラを上から覗き込むため『ウェストレベル(腰位置)ファインダー』と呼ばれる)を搭載して現れた一眼レフ*によって、撮影者はフィルムを装填したまま、撮影するレンズを通過する光で被写体を観察できるようになった。ピントや構図、そしてアウトフォーカス部のボケまでも入念にチェックでき、しかも被写体に近接する接写が可能で、さらにあらゆる焦点域の交換レンズが無理なく使えるのだから、これは理想に一歩近づいたシステムというべきである。カメラは早晩、すべてこのタイプに移行することが予想された。
 ところが1930年代に発売された史上初の量産型一眼レフ**は、期待通りの顧客を得ることができなかった。それらを求めた層の多くは学術研究などに従事する人々であり、つまり初期の一眼レフは特殊用途のカメラと見なされたのだ。これはドラスティックな変化を好まぬ欧州市場の保守性ゆえとも思えるが、いくつか正当な理由もあった。
 第一に、当時の写真術ではレンジファインダーやビューファインダー、つまり撮影レンズとは別の専用ファインダー付きカメラが常識で、これに慣れたひとびとは厳密な被写体像の観察などさして重視しなかった。
 第二の理由として、可動式のミラーを持つカメラボディは必然的に大きくなり、機構も複雑なぶん重量も増加したことが挙げられる。
 第三の理由は、初期の一眼レフがその優位性を活かせる要素技術を持っていなかったことだ。これはシャッターを押した瞬間にブラックアウトしてしまう(自動復元しない)ファインダー、絞りに連動して視野が暗くなり、開放でも周辺光量が不足してピントがつかみにくいスクリーンなどである。こうした問題は現在ではほとんど解決されているが、初期の一眼レフはやはり完成度が低い。同時代のレンジファインダー機がいまだ実用に耐えるのと対照的だ。
 最後の、そして最大の理由は深刻だった。ウェストレベルファインダーはその宿命として、撮影者に左右が逆転した像しか提供できなかったのだ。これは理論的にやむを得ないこととはいえ、その欠点と「レンズを通して被写体を観察できる」長所をハカリにかけると、ほとんどのユーザーは欠点が重いと判断したのだった。

●作例モデル:脊山麻理子

*注1)この方式は実はかなり昔から考案されていた。二十世紀初頭には可動ミラーとウェストレベルファインダーを備えた大型の木製暗箱が登場している。この種のカメラでもっとも有名なのは1930年代に英国で開発され、かの“アラビアのロレンス”も使用したという逸品『トロピカル・ソーホー』だろう。

**注2)このカメラを開発したのは戦前のドイツ・ドレスデンに本拠を構えるイハゲー社で、同社の『エキザクタ』ブランドを冠する全金属カメラとして商品化された。1932年には127フィルム(ベスト判フィルム)用が、それに続く1936年には35mmフィルムを用いる“ライカ判”のカメラが発売された。後者は映画用フィルムを使用することから『キネ・エキザクタ』の愛称で知られる。エキザクタについては次回連載で採り上げる予定。


2002年11月20日掲載

<--Back     Next-->



Webmaster :
ammo@tokyo.fujifilm.co.jp
Copyright :
マカロニ・アンモナイト編集部