* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers
東京レトロフォーカス


  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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パリ生まれのレンズでお仏蘭西プランドの看板を背景に撮る。アンジェニューR1はこの連載の第一回で使った物品。35mmとしては歪曲収差が大きめだが、これは初期のレトロフォーカスレンズではやむを得ない点だろう。シャドーのコントラスト再現がなかなか良い感じ。
Ihagee EXAKTA Varex IIa + Angenieux R1 35mmF2.5 FUJICHROME ASTIA (RAP) Exposure Data:1/25sec. F=5.6



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街角スナップに好適といわれる35mmレンズだけど、パース感はやはり広角レンズ。こうやって低い位置で構えると「巨人の国の麻理子ちゃん」みたいに撮れる。そうそう、このちょっぴり色が抜けた感じがアンジェニューなのだ。石畳の質感がパリっぽい?(水平はちゃんと出しましょう)
Ihagee EXAKTA Varex IIa + Angenieux R1 35mmF2.5 FUJICHROME ASTIA (RAP) Exposure Data:1/25sec. F=4



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●今週のお題:
『エキザクタ・ヴァレックス』
シンメトリーの美。戦前と東独製エキザクタSLRのレリーズボタンは通例と異なり、ボディ前面のレンズマウント右上にある。このため“設計者は左利きだった”という伝説が生まれた。多くの交換レンズは鏡胴基部にレリーズのエクステンションを持つが、写真の『テッサー50mmf2.8』にはプリセット絞りと連動するプレビュー機構が組み込まれている。これはシャッター半押しで任意の値まで瞬時に絞り込む巧妙なメカニズムで、絞り開放の明るいファインダーで精密なピント合わせを可能にする。ボディ前面のシンクロコネクタは右上がストロボ用、他の二つはフラッシュバルブ用。黒色塗装部のエナメルのような質感、梨地とクローム鍍金のコンビネーションが妖しい魅力を放つ。
Nikon FE2 + Micro-Nikkor105mmF2.8 FUJICHROME ASTIA (RAP) Exposure Data:2sec. F=11

 デザインの時代 #2

 エキザクタの名はクラシックカメラ愛好家にひろく知られているけれど、その変遷を綴った記事は意外に少ない。これはライカやコンタックスなどと対照的で、“ちょっと変わった東独のカメラ”というイメージを持つひとも多いようだ。本題に入る前に、すこしだけその歴史を紐解いてみよう。

 エキザクタ一眼レフを造ったのは、オランダ資本のドイツ企業イハゲー社である。1912年に創設された同社は光学産業が集結するドレスデンに本拠を置き、大判フィルムを用いた一眼レフなどを製造していた。ちなみにIhageeという風変わりな社名は『Industrie und Handelsgesellschaft(意訳すると“産業商業機構”か)』を元にしている。実はこの名称がエキザクタのデザインを読み解くキーワードに思えるのだが、その件は次号にて。
 イハゲーの名が世界に知れわたるのは、1933年(32年説もある)に登場した“Standard-Exakta”、通称『ベスト・ポケット・エキザクタ』からだろう。本機はベスト判フィルム(40mm×65mmの画面サイズを持つロールフィルム:現在は製造中止)を用いる史上初の量産小型一眼レフとして話題を集めたのだ。
 続く1936年には35mmフィルムを用いる通称『キネ・エキザクタ』が発売されている。こちらは残念ながら“史上初の35mm版一眼レフ”の栄誉を逃した*けれど、後年のカメラに与えた影響はきわめて大きい。その意義は前項のコンタックスSLR編でも触れたが、本機の登場によって現代に連なるライカ判一眼レフの歴史が始まったといえる。
 ドイツのほとんどの光学産業と同じく、イハゲー社も戦争によって深刻な被害を受けた。またドレスデンは戦後東独領となり、多くの企業が国営化されるなか、エキザクタのブランドも歴史の狭間に消えていく可能性もあったのだ。だが元来オランダ資本であったイハゲー社は例外的に民営企業として存続することを許される**。同社は爆撃で破壊された工場を再建し、1950年には新製品を世に問う。これがエキザクタの代表作として知られる『ヴァレックス』(Varex=変種?:独語読みだと“ファレックス”になる。なお対米輸出仕様は商標の関係で“V”または“VX”に置き換えられている)である。
 そのデザインは戦前のキネ・エキザクタを基本に細部をブラッシュアップしたものだが、ひとつ大きな違いがあった。ファインダーブロックを交換式にして、それまでのウェストレベルに加えてアイレベルでの撮影も可能にした点である。
 このファインダー交換というアイデアは、もちろんペンタプリズムの量産実用化によって実現したものだ。コンタックスSLRに続くペンタプリズム採用だったが、エキザクタ・ヴァレックスは「撮影者が撮影目的によって形態を選べる」システムカメラの嚆矢(こうし)となったのだ。
 1950年代の前半において、ヴァレックスは世界でもっとも先進的なカメラのひとつだった。だがその存在は進化の本流というより、どこか異端のイメージがつきまとう。何故か?
 その答えを得る鍵はデザインにある、と思う。

●作例モデル:脊山麻理子

*注1)35mmフィルムを用いる史上初の量産一眼レフは旧ソ連で開発された『スポルト』で、こちらは1935年の発売。エキザクタとスポルトは設計思想がまったく異なり、(歴史的価値は別として)カメラとしての完成度においては前者が圧倒的に勝っていた。

**注2)イハゲーの創設者で戦前の社主ヨハン・スティーンベルゲンは大戦中の1942年、ユダヤ人の妻を伴い米国に亡命した。彼は戦後に西独に戻って新企業(通称“イハゲー・ウエスト”と呼ばれる)を興し、東独の本家を相手に訴訟を起こして西側ドイツにおけるエキザクタの商標権を確保する。1960年代には独自開発の一眼レフ『エキザクタ・レアル』を発売するものの商業的に失敗、スティーンベルゲンは失意のうちに世を去る。その後西側イハゲーは日本製カメラ(コシナおよびペトリのOEM)にエキザクタブランドを冠して販売するが、70年代半ばに消滅した。ちなみに本家の製品は前記の商標問題により、西ドイツ市場では『エルバフレックス』のブランドで販売された。


2003年01月15日掲載

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