* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers
東京レトロフォーカス


  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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薄暮の表参道にて。レトロフォーカス型の広角レンズは背景のボケ描写にクセがあるものが多く、このレンズも例外ではない。これはレンジファインダー機の対称型レンズで撮り比べるとよくわかる。この作例では木の枝が二線ボケ気味(絞りを開けるともっと酷くなる)。空のトーン再現は出色、周辺はもう少し落ちてくれた方が嬉しい。
Ihagee EXAKTA Varex IIa + Angenieux R1 35mmF2.5 FUJICHROME ASTIA (RAP) Exposure Data:1/25sec. F=4



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裏ハラの路地にて。さいきんはあまり使わない焦点域だけど、やっぱりこの90mmはイイですね。リバーサルでもシャドーがなかなか潰れないし、色乗りも良好(アンジェニューらしさには欠けるけど)。放っておくと独りで遊びはじめる麻理子ちゃん。「枯れ葉を光に透かすと葉脈がキレイ」だそうだ。
Ihagee EXAKTA Varex IIa + Angenieux Y12 90mmF2.5 FUJICHROME ASTIA (RAP) Exposure Data:1/150sec. F=2.8+1/2



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●今週のお題:
『エキザクタ・ヴァレックス』
七つの面で構成されたダダイズムのオブジェ。ダダで思い出したが、このペンタ部の造形はなんとなく『ゼットン』の顔に見える。右下に見える大型のダイヤルはシャッターのタイム秒時設定用。左上のメインシャッターダイヤルをTにセットするとこちらに切り替わる。設定は黒数字の1/5秒から12秒まで。赤数字は約12秒後に切れるセルフタイマーで、なんと通常のシャッター速度に加えて1/5秒から6秒までのタイム露出ができる。この凝った機構は通常のギア式スローガバナーではなく板バネ(ゼンマイ)仕掛けである。
Nikon FE2 + Micro-Nikkor105mmF2.8 FUJICHROME ASTIA (RAP) Exposure Data:2sec. F=11

 デザインの時代 #3

 カメラに限らず、僕たちの身のまわりにあるすべての工業製品はデザインされている。日本人の言語感覚では“design”というとなんとなく外見の意匠をつくる作業を連想してしまうのだけど、この単語には“設計”という広い意味もあるのだ。
 つまり、今あなたがお使いのカメラもこの原稿を読んでいるパソコンも、いや台所の鍋だってデザインされた物品といえる。そう書いてしまうと話が広がりすぎるので、その昔に職人が金槌で打ち出していた鍋は手作り、工場でプレスして造られる鍋は工業デザイン物品、と考えてみよう。両者の違いは、規格化されたパーツでの量産を前提にしているか否かにある。
 工業製品のデザインが重視されはじめたのは、およそ一世紀前のことだ。そのころ機械技術の先端を行っていたヨーロッパでは、さまざまな物品の製造現場が職人の工房から、より規模の大きい工場へと移行しつつあった。その背景にあったのは、金属加工技術の発達である。

 ヨーロッパの近代化を象徴する動きの端緒は、19世紀後半のパリ万博*だろうか。世紀末の美術アールヌーヴォーで彩られたイベントは、芸術と工芸を一体化させる壮大な試みだった。さまざまな建築が有機的なデザインの錬鉄工芸で飾られ、ギュスタフ・エッフェル設計の塔は金属の巨大なオブジェとして屹立した。このイベントの様子は、多くのカメラが写し取って今に伝えている。
 万博を契機にアールヌーヴォーの波は各国に広まっていったけれど、その過剰な装飾様式の寿命は意外に短いものだった。それでも多くのひとびとは金属という素材に、新たな可能性を見いだしたはずである。小規模な工房が注文生産していた華麗な金属装飾が、大規模な建築にも使われたという意義は大きかった。
 建築とデザインのもうひとつの革命は、さらに北方の国ドイツで興った。1907年に設立された『ドイツ工作連盟』が、産業界と芸術界を結びつけることを目的に活動を開始したのだ。やがてこの流れはドイツ表現主義と合体し、巨大な運動に変わっていく。世に名高いデザイン学校『バウハウス』**である。

 さて。堅苦しい歴史の話は脇に置いて、カメラの話に戻ろう。二十世紀の初頭、写真家の道具は未だ前時代的な木製大型カメラが主流だった。これが紳士のスーツのポケットに入るなんて夢のまた夢として、せめて首から下げて携行できるまでダウンサイジングしないと普及はおぼつかない。それには加工の容易な木材を捨てて、ボディ内外の骨格とメカニズムを金属に置き換える必要があった。
 精密な金属加工は時計職人などの工房では充分に可能だったけれど、それは高価な注文生産の世界である。そこに“芸術と工芸を統合した”機械工業による量産加工技術が入ってきたとき、カメラははじめて工業生産品になったのだ。この技術分野を進化させたのは工業デザイナーであり、彼等に道筋を与え、集団的に養成したのがバウハウスだった。
 ここで本題。果たしてエキザクタはバウハウス的デザインか?
 その答えはちょっと複雑だ。


※次号は脊山麻理子さんの作品を特集する『50mmの才能』第三回を掲載。エキザクタ編の続きは2月5日更新分より再開します。

●作例モデル:脊山麻理子

*注1)パリの万国博は現在まで6度にわたって開催されている(1855年、67年、78年、89年、1900年、37年)。もっとも壮麗だったのは1900年のイベントで、フランスではこの万博を記念して? この年を二十世紀の最初の年と位置付ける人が多い。先の2000年にも他国よりひと足早い新世紀を祝う企業がいくつも現れたほどだ。学校では「21世紀は2001年からです」と教えていたそうだが。

**注2)バウハウスは1919年、ヴァルター・グローピウスによって創設された一種の職業訓練校。建築・絵画・彫刻などの分野で革新的な活動を行い、特に機能に裏打ちされた合理性を美の領域にまで高めた造形開発は後の工業デザインに大きな影響を与えた。一般にはその成果が“バウハウス運動”として知られているが、その実体はれっきとしたワイマール共和国の国立学校(後にデッサウに移転して市立大学となる)である。


2003年01月22日掲載

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