* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers
東京レトロフォーカス


  文/中山慶太 --->Back Number  写真/脊山麻理子


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バルセロナ・カサミラ

高校生のとき映画「ワンダフルライフ」(死後に「生きている世界」と「天国」の間で自分の一番大切な思い出の映画をつくり、その思い出だけを抱いて天国に行くという話)を観に行ったのだけど、観た後私だったらどの瞬間を抱いて天国に行くかなあ、って考えた。私なら父と母と兄二人とみんなで晩ご飯を囲んで食べたり、チャンネル争いをしたり、お風呂の順番を待ったり、朝に兄たちを起こしに行って兄たちの布団で2度寝して「ミイラ取りがミイラになっているよ!」なんて母に言われたり、家族全員が一緒に暮らしていた頃を抱いて天国に行っていたと思う。この写真の兄妹もいつか好きな人と作る家族とすごす毎日の方が今過ごしている家族と過ごす毎日より長いなんて思ってもいないのだろうな、って思ったら「あのね結構今って貴重よ」って話し掛けたくなった。
でも今の私は欲張りだから「瞬間なんて抱いていけない! 私の人生全部を映画にしてください!」「でも愛とは、人生とは、後悔しないことだから映画は作らない!」とかいろいろわがままを言ってなかなか天国へ行かせてもらえないのだろうな。
(文・脊山麻理子)



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スペイン・バルセロナからイタリア・サンカッシャーノまで飛行機と電車を乗り継いだだけのたった一日の、だけどサンカッシャーノで母たちに出会ったときにはすでに3日くらい掛かったような感覚に陥った初めての一人旅中に撮った写真。
降りる駅の名前さえ確認していなかったのに、電車に乗れた安心感、極度の緊張、不安、スリル感、ワクワク感といったいろいろな感情が頭を刺激しすぎて眠りに落ちてしまった。(座った席の、斜め前に座っていたお姉さんを眺め「このお姉さんすてきだな、こんな風になりたいな、そういや私イタリアにいるんだ、疲れたな、カバンぬすまれないかな、車内放送あるのかな、どれくらい掛かるかな・・・」と考えているうちにZZZ。)
いまの私はこのときの麻理子にもの申す。「おいそこで寝るなよ!」と。でもよかったね麻理ちゃん、親切なイタリア人はかってにあなたの切符を見てちゃんとその駅でたたき起こしてくれるんだから!
(文・脊山麻理子)





東京レトロフォーカス Special Edition
『 50ミリの才能 #3』


 写真学校に通っている知人に作品を見せてもらったことがある。
「これは手前に人物を入れてパースを強調した」「こっちは夕方の光で色温度を下げて、人物の肌色を……」と、なかなか分かりやすい説明が聴けて面白かった。写真も本人がセレクトしただけあって、なるほどよく撮れている。
 でもなにか物足りない。巧いけれど、一生懸命に“良い写真”を撮ろうと頑張ったプロセスが見えて、「ほら凄いでしょ、イイ写真でしょ」と主張する撮り手の作為を感じてしまう。たぶん学校で毎日そういう訓練を積んでいるから、それが前面にでてしまうのだろう。
 いつも思うのだけど、巧い写真と良い写真は違う。前者は露出のテクニックとかシャッターチャンスとか構図とか、そういう条件がまず目に入る。「良くこういう写真が撮れましたね」と観る人にいわせたい写真。ベルビアとPLフィルターで原色とコントラストを強調した風景みたいなものだ。あなたの人生はなんなんですか、って聞いてみたくなる。余計なお世話だけどね。
 後者はそういうテクニックよりも、撮影者の気持ちがストレートに伝わってくる写真だ。何を面白いと思ったか、何に感動したか。それが生身の視線の追体験として心に滲みる。
 そういう写真が撮れるようになるには時間がかかる……わけではない。撮れるひとはカメラを持ったその日から撮れる。最新の全自動カメラを使えば、面倒な修行もいらない。まことに神は不公平で世の中はママならないものである。

 さて。脊山麻理子さんの作品特集、今回はとりあえず最終回である。
 彼女は自分の好きなものや好きなことに出逢ったとき、「楽しい」という表現をよく使う。それはたぶん彼女の価値観が「楽しいか楽しくないか」というベクトルを持つマップで評価されるからだろう。
 だから今回の作品2点も、彼女自選の楽しい写真だ。でも僕の目でみると、楽しいよりもすこし悲しい写真に思える。特に子供の写真は、親の陰に隠れた男の子の視線が「撮影者を映す鏡」みたいに思える。すくなくとも僕には、楽しさよりもそういう痛さが伝わってくる。何故だろう。
 竹中直人の芸に「笑いながら怒る人」というのがあるけど、僕の目には彼女の写真が「笑いながら泣くひと」みたいに見えるのだ。
 ひとが痛みを知るには時間がかかる。キレイで薄っぺらい風景は子供でも撮れるけど、痛い写真はなかなか撮れない。そういう痛さは人生のあちこちにあるのに、それを自覚するのはずっと大人になってからである。
 だから彼女の写真が妙に大人びているのが、僕にはちょっと心配だったりする。
 こんな感想は「大人になれない親爺」の世迷い言なのだろうか。その答えを知るために、僕はもう少し彼女にレチナを貸しておくことにしよう。

※脊山麻理子さんの写真への感想をお寄せください。感想はこちらから。

※プチ連載「マリコのフォトダイアリー」は3月から再開します。


2003年01月29日掲載

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