* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers
東京レトロフォーカス


  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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鏡のなかの麻理子ちゃん。前々回は快調だったアンジェニュー90mmだけど、やはり絞り開放付近では解像度とコントラストの低下は避けられない。それを承知で開けて撮った。右の女性はいつも僕の髪を切ってくれるサトミさん、彼女とはもう十年のつき合いになる。
Ihagee EXAKTA Varex IIa + Angenieux Y12 90mmF2.5 FUJICHROME ASTIA (RAP) Exposure Data:1/100sec. F=2.8



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とはいえ、レンズの性能を発揮させるためにはある程度絞った方がイイ。と、そうアタマでは理解しているのに、手が絞りダイヤル(アンジェニューY12は絞りを独立した小型のダイヤルで操作する)にかからない。長玉で絞れば三脚は必須、でもこういう素敵な笑顔はやっぱり手持ちで狙いたいよね。
Ihagee EXAKTA Varex IIa + Angenieux Y12 90mmF2.5 FUJICHROME ASTIA (RAP) Exposure Data:1/100sec. F=2.8



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●今週のお題:
『エキザクタ・ヴァレックス』
ヴァレックスとその廉価版エクサ。シンメトリックな造形に固執するイハゲー社は大衆機にもこの手法を用いた。ただしエクサはヴァレックスのボディを前後逆にしたようなデザインである。両機はレンズだけでなく交換式のファインダーも共用できるが、一部に互換性のないパーツがあるので注意が必要。両機に装着したレンズはどちらも同じ光学系を持つ東独ツァイス製テッサー50mmF2.8で、サイズの違いは半自動絞り機構の有無と繰り出し量の差によるもの(大型の方が10cmだけ寄れる)。
Nikon FE2 + Micro-Nikkor105mmF2.8 FUJICHROME ASTIA (RAP) Exposure Data:2sec. F=11

 デザインの時代 #5

 イハゲー社はなぜエキザクタを左右対称にデザインしたのか。その理由は、彼等の最初の作品である『ベスト・ポケット・エキザクタ』を真上から観れば理解できる。 通常のカメラボディが箱形であるのに対し、こちらは三角形に近い、いわゆる“オムスビ型”なのだ。南伸坊さんの自画像みたいなカメラ、といったら誰も買わないだろうか。
 もちろんこの造形にはそれなりの必然がある。レンジファインダー機が薄型のボディで成立したのに対し、内部に可動ミラーを配置する一眼レフではレンズマウント部が前に張り出してしまう。ここでフツーのデザイナーは箱の前に小さな箱を重ねて逃げるところだが(事実その後の一眼レフはほとんどこの二段箱デザインだ)、イハゲー社はボディ左右のフィルム室とマウントを真っ正直な直線で結んでみせた。四角いミラーボックスをボディに包含した、今ふうにいえば“インテグラルな造形”である。
 どうせ左右対称にするのだから、と考えたのかどうかはわからないが、エキザクタは通常と逆の“左手レリーズ・左手巻き上げ”とされた。これは精密なピント合わせの作業を右手に、単純作業を左手に担わせるという、いっけん理に適ったレイアウトではある。全面的に納得できないのは、レリーズは右手の指先に委ねた方が脳の信号に素早く追従できそうな気がするからだ。エキザクタは伝統的に左右逆像のウェストレベルファインダーを選ぶことができたのだが、脳がウニになる人が続出しなかっただろうか。
 1933年に発売された初代エキザクタは、漆黒のボディ中央に据えられたレンズを左右のボディがピラミッド状に支える、他に類をみない力強いデザインとなった。これは箱形カメラとの決別を象徴するだけでなく、今日の目で観ても充分に未来的な造形である。なにより二等辺三角形の頂点に位置するレンズで光を捉え、その光束が左右の“翼”に向けて広がっていく様子をイメージさせるところが素晴らしい。さらにミラーボックスの上部には折り畳み式ピントフードを備えたウェストレベルファインダーも配され、これを開いた状態のデザインバランスも秀逸だ。もしもイハゲー社の設計陣が左右対称に固執しなかったら、これほどに象徴的な造形は得られなかった*ことだろう。

 さて、話はここでふたたび本題に戻る。果たしてエキザクタのデザインに、バウハウスの影響はあるのだろうか。建築や家具、そして絵画や彫刻と多面的な展開をみせたバウハウスだが、カメラのような物品は手がけていない。少なくとも、彼等の教育カリキュラムには含まれていなかったはずだ。だからこの両者の関係性を探る作業は、たんなる想像か推察、もしくは憶測に過ぎない。
 この推察を難しくしているのが、バウハウス消滅の経緯である。社会主義の時代にワイマールで誕生したバウハウスは、デッサウを経てベルリンに移転し、そこで廃校の憂き目にあった。この移転と閉鎖の背景にはアドルフ・ヒトラー率いるナチス党の圧力があったとされる。ヒトラーはバウハウスの精神的バックボーンであった“ドイツ表現主義”と呼ばれる近代芸術運動を“退廃芸術”として排斥し、これに関わる者にことごとく弾圧を加えたのだ**。こういう時代に生まれたカメラが、果たしてバウハウス的な意匠を纏(まと)えるものだろうか?
 僕の主観はイエス。「エキザクタはまぎれもないバウハウスデザインだ」

●作例モデル:脊山麻理子
●撮影協力:表参道 BOY U(03-5411-1350)

*注1)イハゲー社は戦前の1938年と戦後の52年に6×6判の『エキザクタ66』を異なる設計で発表している。前者はお馴染みのオムスビ型だが後者はロールフィルムを上下に走らせる縦長の箱形ボディで、シンメトリックな三角ボディを持たない唯一のエキザクタである。なお同じ名称のカメラは1985年に西側ドイツでカムバックしたが、これは当時の西ドイツで東独VEBペンタコン社の販売権を持つハインリッヒ・マンダマン(シュナイダーやローライを傘下に収めていたベロフレックス社のオーナー)がエキザクタの商標を買い、古典的中判カメラである『ペンタコン6』を現代風にリプロダクトしたもの。イハゲー社の系譜とは無関係の製品である。

**注2)ヒトラーは若い頃に画家と建築家を志し、ウィーンで美術学校の試験に落第して政治家になった。彼の嗜好する芸術とは対象に忠実な新古典主義であり、抽象的な作風で人間の内面に迫る表現主義を忌み嫌った。ナチス党が政権を握った後の1937年にはベルリンで『大ドイツ芸術展』と『退廃芸術展』を開催、後者はヒトラーが排斥する芸術作品を集め、民衆の前で焼き捨てるなどのプロパガンダ行為を行った。


2003年02月12日掲載

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