* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers
東京レトロフォーカス


  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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拙政園にて、鉛筆型のつるべ井戸で遊ぶ麻理子ちゃん。画面上部のハレーションはフレアか、あるいはボディと裏蓋の透き間からの光線引き(コンタックス・キエフはこの嵌合部が浅く、遮光用テレンプも劣化していることが多いのでこの種のトラブルは少なくない)か。僕はこういうローテクな絵も好きなので、あまり神経質にならないようにしている。
Kiev 4a + LZOS Jupiter-12 35mmF2.8 FUJIFILM NewPRO400 (PN400N) Exposure Data:1/50sec. F=5.6



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キエフ用標準レンズ、ジュピター8の原型は戦前ツァイスの名玉ゾナー。特にキエフIIに装着されたこの初期型(KMZ製)はベルテレのオリジナル設計にきわめて近いとされる。愛好家の間では後年のアーセナル製改良型(ジュピター8M、ヘリオス103)も評価が高い。蘇州・留園にて。
Kiev 4a + KMZ Jupiter-8 50mmF2 FUJIFILM NewPRO400 (PN400N) Exposure Data:1/125sec. F=5.6



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●今週のお題:
『キエフRF』
リボンが切れたキエフでシャッター幕を観察する。フィルム開口部の下側に覗いているのがフォーカルプレーンシャッターの先幕、上から斜めに垂れ下がっているのが後幕。もちろん正常な状態では水平を保って走行する。ふたつの幕はおなじ構造を持ち、その成り立ちは店舗やガレージのシャッターと同様。このため昔から「金属鎧戸式」と呼ばれてきた(ガラガラと音がするわけではありません)。
Nikon FE2 + Micro-Nikkor105mmF2.8 FUJICHROME PROVIA100F (RDPIII) Exposure Data:2sec. F=16

 キエフへの道 #4

 オリンピックの年に登場したコンタックスII型は、その時点で間違いなく世界最高の技術を凝縮したカメラであった。高価な玩具としても究極の映像を捉える道具としても、これに匹敵する機械は存在しなかったはずだ。なにしろ超精密な機構に加え、ツァイスの高性能レンズ群が使えるのである。
 当時のライバルだった英国はもちろん、写真術の発祥国フランスにも、潤沢な資本を有する工業国アメリカですらも、こんなカメラは造れない。ドイツが別格だったというより、コンタックスだけが異次元にあったのだ。
 この時点でツァイスがライバル視していた相手があるとすれば、それはおなじドイツのエルンスト・ライツ社だけだっただろう。多くの写真家は操作性に優れたライカを愛用していたし、構造が単純でメンテナンスも容易、かつ信頼性の高いこのカメラは軍用としても重用されていた。だから戦争が近づいてドイツがライカに禁輸措置を施したとき、慌てた英国政府は国内の愛好家にライカの供出を命じたし、戦時中の米国では軍がライカコピー機を発注するほどだった*。この時代、世界のいくつかの国ではライカを複製することができたし、じっさいに製造してみせたのである。だがコンタックスの複製に成功した国はなかった**。挑戦したメーカはあったのだろうか?
 知人で機械設計を手がけるカメラ愛好家のI氏によれば、コンタックスはもし模造に成功しても採算ベースに載せることは不可能だろうという。
「分解すればすぐ分かります。ぜったい儲かりませんよ、あんな複雑なカメラ」
 当時のツァイスがこのカメラで利益を上げていたかはよく分からない(同時期の比較では、コンタックスの価格はライカの僅か1.5倍に過ぎなかった)けれど、これは生産技術をはじめとする企業の基礎体力の違いだろう。ドレスデン周辺に多くの工場を持つツァイスは、ずっと西の小さな街に本拠を構えるライツとは比較にならないほど巨大な企業体だったのだ。

 ベルリンオリンピックの記録映像制作でヒトラーが意図したのは、自国の先進技術を誇示することで周囲の国々を威圧する(ウチと戦争すると痛い目にあいまっせ、ってか)宣伝効果、そして国威の発揚により国民の意識をまとめるプロパガンダ効果である。これは近代的情報戦略の先取りであり、宣伝相ゲッペルスの手腕も手伝って大きな効果を挙げた。特に映像による情報の威力は世界の為政者を震撼させるに充分だったはずだ。
 こうして世界の国々は彼我の技術力の差に唖然とし、ドイツの光学技術は羨望の的となった。写真術は富裕層の道楽から大衆の娯楽へと裾野をひろげており、また光学機器は戦争の道具でもあったから、この分野の育成は現在のIT技術にも匹敵する最重要案件と見なされていく。
 おそらく世界の指導者でもっともこのカメラに注目したのは、もうひとつの大国を率いる政治家だった。 ロシア革命後のソ連を強力な工業国家に育て上げた男、ヨシフ・スターリン***である。

※次号はキエフ編をお休みして「脊山麻理子さん撮影の上海・蘇集特集」をお送りします。

●作例モデル:脊山麻理子

*注1)英国のライカコピー機はリードI〜III、米国のそれはカードンという名を持つ。リードは戦中時に供出されたライカの代用品として戦後に販売され、カードンは戦時中に軍用として開発された。これらの模造品は数あるライカコピーのなかでも優れた品質で知られ、重箱の隅をつつかなければ立派にライカの代用となりえた。

**注2)戦後の日本で最初に本格的なカメラ製造を手がけた日本光学は、ニコンI型〜S型でコンタックスを範としながら難度の高いシャッター機構などをライカのそれに置き換えている。ちなみに現在のニコンSLRのレンズ装着とヘリコイドの回転方向がコンタックスと同一(他の国産機の多くはライカとおなじ)なのはこの名残りという。

***注3)スターリンの本名はヨシフ・ビサリオノヴィッチ・ジュガシビリ。彼はロシア革命へと至る共産主義活動家時代に「鋼鉄の人」を意味するスターリンの名をペンネームとして用いた。


2003年04月23日掲載

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