* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers
東京レトロフォーカス


  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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上海老街の裏道にて、ポーズをとる麻理子ちゃんとファインダーを覗くお猿くん。開発が進む上海にもこういうフォトジェニックな街角はまだまだ残っている。
Leica M3 + ZOMS Orion-15 28mmF6 FUJICOLOR NewPRO400 (PN400N) Exposure Data:1/30sec. F=8



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こちらはエルマリートで撮影。データはオリオンと同一なのに、被写界深度は心持ち浅く、コントラストは低めに見える。画面中央部の解像感と発色はほとんど互角。(キエフ特集なのに別の機材による作例が続いてすみません)
Leica M3 +Elmarit 28mmF2.8 FUJICOLOR NewPRO400 (PN400N) Exposure Data:1/30sec. F=8



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●今週のお題:
『キエフRF』
初期型キエフの直接のライバルはライカでなく、この「西側ツァイス・イコン製コンタックス」ではなかったか。同機はいちおう戦前コンタックスの改良型と受け止められたものの、一部には進化に逆行した部分もある。写真下は1954年より生産が開始されたコンタックスIIa後期型、通称“カラーダイヤル”。サイズは上のキエフII(=コンタックスII)よりひとまわり小型になった。
Nikon FE2 + Micro-Nikkor105mmF2.8 FUJICHROME PROVIA100F (RDPIII) Exposure Data:2sec. F=16

 キエフへの道 #9

 話は前後するが、第二次大戦下のウクライナは混乱の極みにあった。
 なにしろこの地にはウクライナ系民族の他にポーランド系、ロシア系の住民が暮らし、それぞれにユダヤ系のひとたちが混在していたのだ。このうちウクライナ系の民族主義者は独ソ開戦当初の赤軍の敗退で独立に向けて動き、侵攻するドイツ軍を歓迎したという。結果は悲惨なもので、ドイツ占領下では隷属を余儀なくされ、そしてソ連が反攻に転じるとともに独ソ両軍に徴用されたウクライナ兵はおなじ民族同士で戦わねばならなかった*。
 日本人には印象の薄い東部戦線だが、大国の狭間にあったウクライナはおなじ立場のポーランド以上に蹂躙されたのである。

 さて、何故スターリンがカメラ生産にこの地を選んだか(あるいは周囲の具申を承認したか)は定かでない。おそらくこれは地理的・人的条件を勘案した結果だろう。ウクライナの国土は“ソヴィエト帝国”のなかでもとりわけ温暖で、西欧的な工業プラントの移設に馴染みやすく、間接的に地中海とつながっていた。黒海に面したオデッサの港からは四季を通じて工業製品を輸出することができたし、ソ連はじっさいにそうやって外貨を稼いでいたのだ(旧ソ連製カメラはエジプトやイランなどアラブ諸国でよく見かける)。
 人的な要素は複雑だ。為政者なら自国のもっとも高度な製品をシンボリックに扱いたい筈だが、ソ連の首都銘が冠されたカメラはなぜか旧式の蛇腹機**だった。このあたりの事情も憶測の域を出ないのだが、コンタックスにキエフ銘を刻印したのは、大戦により疲弊したウクライナ国民の人心を統べる意図があったのではないか。連邦諸国に対するこうした「飴と鞭」的統治は、ソ連の治安維持政策の常套手段でもあった。
 キエフの生産にあたったのは、新生ウクライナ共和国(ウクライナは1945年に国際連合の創設メンバーとして独立が承認された)の首都に置かれたアーセナル工場である。1764年に操業を開始したこの工場は大砲などの兵器製造に長い歴史を持ち、ロシア革命後は主として農業機械などの生産にあたっていた。大戦中にはふたたび兵器製造を行い、ドイツ軍による破壊の憂き目にあう。
 戦後のウクライナにコンタックス生産設備が移設されたのは、前述のように1948年のことらしい。レストアされた工場の一角に運び込まれたドイツ製の設備は、強制労働を課されたドイツ人技師の指導で設置され、そこではじめての「ウクライナ製コンタックス」が生産される。初期ロットはドレスデン製の部品を多用して組み上げられ、ごく初期の製品にはコンタックスの刻印を埋めて筆記体のキエフロゴを打ち直したものも存在する。
 キエフが量産に移されたのは1949年から(これは諸説ある)という。で、じっさいその品質はどうだったのか、というギモンには次号で私見を披露させていただきます。

●作例モデル:脊山麻理子

*注1:ウクライナは第二次大戦でも有数の激戦地で、戦闘による死者は500万人以上といわれる。

**注2:「モスクワ」の名を持つシリーズは戦前ツァイス・イコンの「スーパーイコンタ」をなぞったデッドコピーで、生産はモスクワ近郊のKMZで行われた。ただし生産設備はドレスデンからの移設ではなく(イコンタ系列の生産はのちに西側領となるシュツットガルトに置かれていた)、ツァイスが保有していたパーツを基にプラントを構築したといわれる。


2003年06月18日掲載

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